某twitterで、死の本能を政争の具に使おうと試みる政治ゴロをみつけましてねえ。ホント、#くたばれtwitter で御座います

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参ったっスねえ。
おらほう、昨日がいっちゃんあちかったんじゃないの?
それまではね。なんだかんだ云ってもピンポイントでみれば32℃が精精で、日の入りが遅い時期のせいによる夜間の熱こもりが熱禍だったんですが、昨日はとうとう他関東地区同様の異常高温を観測することになりました。

アテんなんない天気予報、と。
そうですよ、一言文句云ってやんないとね。
昨今流石に今日明日の照り降りは抜群の制度で当たるようになりましたよ。
けどまあ、気温に関してはねえ。
当日朝の予報ですら当たった験しがありません。
この分じゃ、来週は暑さが収まるってのも、まあ期待せずに待つしかありません。

そんな中で本年も後半へと突入しました。
さてさて、本BLOG、このとこどうも低調でねえ。
夏枯れ?それもあるけど、もっとおっきな原因は選挙よ。
あれが終んないウチはネット雀(失礼!)たちの関心も専らそっちに集中してて、何はなしても容易にはノってきません。
いえいえ、政治に全く関心のない齋藤杏花 (さいとうあんな) が悪いといえば悪いんですけどね。
殊に今隆盛のSNSの話題が選挙一色なのは痛いものがあります。
昨朝拾えたネタも大いに選挙に絡むものでした。

LGBTの自殺は本人のせい?
何でも、どこぞの政党の勉強会の配布資料とか、って知りませんし知ろうとも思いません。
だってバカバカしんだもの。
LGBTに対する偏見が自殺者の招いてるという捻じ込みへの想定マニュアルと思料しますが、もとより関心がない事、それに加えて案の定選挙期間ゆえに対立政党が喰い付いて来てて一発で読む気をなくしました。

何度も云ってるように、自殺の原因などというものは生物の持つ死の本能で、んな事はフロイトの頃から分かってます。
本能ですので加害者などという観念が入り込む余地があろう筈もなく、んな事で喧々諤々やる人たちは、死人にかんかんのうを踊らせるのが好きな人種であると結論付けるしかありません。

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死の本能に関して話したつもりでいたのですが、存外話してなかったもんですね。
分かり易くいえば、飛んで火に入る夏の虫っての、このBLOGで話したのは雨後に這い出すミミズでしたか、生物には死の安定を求める本能があるって研究成果です。
『サディズムに花束を!』で書いた記事があったのですが、あんま話の繋がりがよくなくて。
やめようと思ったのですが、やっぱ出すこととしましょう。

死の本能

(2006年)

殺人 ~究極にして最も純然たるサディズム …
つい先だって、6月20日の投稿である。
その後も起きること、起きること!
奈良・田原本の放火殺人、大阪の学生グループによる岡山での生き埋め殺人、そして香川の…

何ゆえに、かくもまた?
思えば、人が死について学習する機会が少なくなってしまったのが起因しているように思料する。
死についての実感がないので歯止めがなく、人を死にいたらしむるということだ。

論者自身もまた、臍の緒切ってこのかた目の前で人が死ぬのを見たことがない一人だ。
別に驚くには足りまい。論者の両親ですら同様なのであるから。
我が家において、この体験があるのは戦争を体験した祖父母の世代となる。
これが原始以来つい近代までの期間においては、全く事情が異なる。

すなわち人は、幼児期より身近な人間の死を目の当たりにする機会を有していた。
兄弟姉妹が死ぬ、(当然のこととして同居している)祖父母が死ぬ… それを実感する。
我の事情に彼の例を当てはめるのも何であるのであるが、メーテルリンクの戯曲『青い鳥』を読めば、そこらの事情は分かるであろう。
兄チルチルは自らの体験から妹ミチルに死というもの概念を正確に説明している。
が、論者、いや、両親すらもそれが出来ぬ現代なのだ。
多産多死人口構成の変化、核家族化、医療の進歩等々理由は多々あるのだが、ともかく事実として死というものを知る機会がなくなってしまったのである。

人間のみに限らず、ありとあらゆる生物には『死の本能』というのがある。
実はこの『死の本能』、大いにSMと関係がある、というよりそのものなのであるのだが、ここでの詳述は割愛して結びに続けよう。
本能のみが先走り学習する機会がなくなって来たとなれば、昨今凶悪事件に見るような歪んだ形での『死の本能』発露も無理からぬことではないのだろうか?


ね?話が反れちったっしょ?
それに時節柄もよくないし。

かくして、我が家の屋根の下からは、実際に死を知ってる人間が一人もいなくなってしまいました。

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