プライベート情報大暴露! 於 万葉カテゴリ
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さあ、一月も最終の第4日曜日、今朝も児童公園の掃除の日ですね、ってののっけからそんな事云っても、誰にも通じないって。
いやいやも通じなくて幸い、最も警戒してる人物特定にも繫がりかねません。
つーことで、全国区の話題で入るなら、大相撲令和八年一月場所も今日が千秋楽です。
今場所も、ってか、今場所も面白い話題が少なかったですわ、
ですので詳細には触れることはありませんが、最後になってようやっとひとつ、明るい話題が出てきましたのでご紹介します。
はい、冒頭画像です。
大怪我で昨年春場所以来土俵から遠ざかってた木竜皇が、序二段の土俵に上がったんですよ。
なんと、5場所ぶりのお目見え。
ま、身体を慣らすって趣旨で本格復帰は来場所からってことになるそうなんですが、それでも一安心、ですのでこうして今場所一番の話題とした訳です。
ふぅー、安心したとこで心置きなく本日の万葉噺に入れますわ。
1月最終も『マゾヒズムに花札を!』連動で、松の歌行きましょう。
巻一34に収録されてるのが先週同様、この歌も或いは有間皇子の歌と関係あるかもしれない、と言われてる歌です。
白波の 濱松が枝の 手向草 幾代までにか 年の經ぬらむ
色々付いてる歌でしてね。
先ずは題司から、紀伊国に幸しし時の川島皇子の御作歌〔或は云ふ 山上臣憶良の作〕とあります。
ね?ややこしっしょ?作者自体が異論併記です。
後の巻にこの歌の小異歌が重ねて出てますが、ここでは割愛します。
そして、左注、日本紀に曰はく「朱鳥四年庚寅の秋九月、天皇紀伊国に幸す」といへり、
朱鳥は持統四年 (690年)、天武天皇末年の1年だけの年号です。
紀伊国に幸す(=いでます)ね、やっぱこの女帝、旅行マニアだったようですね。
更に歌自体に続けて〔一に曰ふ 年は經にけむ〕と、いやホント、色々あらあなですわ。
タムケは行路の安全を祈る為に道の神に布・糸・木綿・神などを捧げること、またその場所を云います。百人一首の菅公で耳に馴染みがあるでしょう。
クサは料、ものです。
ここのでいったとこで、作者の川島皇子に戻りまょうか。
天智天皇の第二皇子、持統天皇の弟で、天武8年(679年)5月の吉野盟約に参加した6皇子の一人です。
政治家というよりも文化人でしょうね、懐風藻にも深く関ってますわ。
そして、あの大津皇子の親友です。
そうでした、大津は謀反に関してこの親友に相談してるんですよ。
なのに…
そうでした、川島は裏切って姉の皇后・当時の鸕野讃良に洗いざらい垂れ込んじまうんでしたね。お陰で大津皇子は死罪…
まあ後世、川島皇子は肩身が狭くなり、酷く悔いたと聞きますが。
私、齋藤杏花(さいとうあんな)もまた、ガッコの授業でこの話題になる度に、肩身の狭い思いをしたものです。
ん?だからー、
中の人の旧姓が川島なんだもん!
再び、ん?です。個人情報暴露して大丈夫なのか?ですか?ま、心配ないでしょう、なんとなれば、おらっとこ、皆川島なんだもの。
ですから中学ではさして片身も狭くなかった、主に高校の授業の時にした思いです。
ま、苗字で個を特定するのは不可能、これは我々自身も同事情でしてね。
皆、屋号で呼び合ってます。
実家の屋号?
某調味料又はとある燃料です。
そうそう。
屋号云ったら一発で特定されちまうもの、あはっ!