常緑の松は生命力の象徴。その生命力への古人の憧憬が、松をお目出度い植物したのやも知れません
常緑の松は生命力の象徴 磐代の 濱松が枝を 引き結び 真幸くあらば また帰り見む 有間皇子 万葉集 犬養孝 齋藤杏花 (さいとうあんな) 齋藤杏花 万葉の人々 万葉のこころ 齋藤杏花facebook Facebook 長忌寸意吉麿の結び松を見て哀しび咽べる歌二首 磐代の 岸の松が枝 結びけむ 人は歸りて また見けむかも 磐代の 野中に立てる 結び松 情も解けず 古思ほゆ 山上臣憶良の追ひて和へたる歌一首 鳥翔成 あり通ひつつ 見らめども 人こそ知らね 松は知るらむ 後見むと 君が結べる 磐代の 小松がうれを またも見むかも 大宝元年辛丑、紀伊国に幸しし時に、結び松を見たる歌一首 柿本人麻呂歌集に出づ 山上憶良
本日の日曜万葉噺は、先にネタ晴らししましょう。
を扱った『マゾヒズムに花札を!』パクリ返し復刻の、云わば派生となるのですが、先ずはその前にです。
昨日が本年初となる、草ごみ回収日でした。
1月は第一はお休みで、第三の一回のみになるんですよね。
ま、1年で一番、草ごみが少ない時期ですのでそれも苦しかるまいでしょう。
はい、張り切って出しましたですよ。
やりだしら限がないのが、我が家のめんめんだ、そうです、とうとう松にまで手を付け出しましてね。
下枝だの邪魔な横枝だのをあらかた払ってしまいました。
硬いけど意外にたおやかなのが松なんでまあ、このあたりにも生命力を感じた次第です。
さあ、万葉歌行きましょう。
磐代の松です。
冒頭の直ぐ後ろの、巻二143-144に、長忌寸意吉麿の結び松を見て哀しび咽べる歌二首ってのがある、
云わばアンサーソングで、当時に置いてすら既に歌枕となってた、有間皇子の磐代の松という事がわかります。
えーっと、143が、
磐代の 岸の松が枝 結びけむ 人は歸りて また見けむかも
モロ、アンサーソングって感じですね。
また見けむかも、また見たであろうか?、見てない事など百も承知、反実仮想ってことでしょう。
144が、
磐代の 野中に立てる 結び松 情も解けず 古思ほゆ
いまだ詳らかならず、と書かれてます。
詳らかならずは作者も同じで。
有間皇子を古=いにしえ、という長忌寸意吉麿って人とは?
そう、伝不詳なんですよ、で時代とするなら、人麻呂から少し後といわれてます。
その後ろの145が、山上臣憶良の追ひて和へたる歌一首、143-144のアンサーソング、アンサーソングのアンサーソングといったとこです。
鳥翔成 あり通ひつつ 見らめども 人こそ知らね 松は知るらむ
鳥翔成は古来難読、トリハナル?トリハナス?ま、大勢に影響はありません。
皇子の御霊は見ておられるだろうか?人は知らなくても松は知ってる、と。
なにやら理屈っぽいといえば理屈っぽくもあります。
それに併せてか、左注がまた小理屈、挽歌のなんとかの講釈風ですわ。
更にもう一首後ろ、146も関連ですね、
後見むと 君が結べる 磐代の 小松がうれを またも見むかも
大宝元年辛丑、紀伊国に幸しし時に、結び松を見たる歌一首、とあります。
歌意は明白、ですので引き続き理屈を言いましょうか?
有間皇子が松を結んだのが斉明4年、大宝元年からみれば43年前ってことになりますね。
ですから、結んだ当時はより小さい松だった、ですから小松ということになります。
おっと、題司は、柿本朝臣人麻呂歌集の中に出づ、と続きます。