花札と歌舞伎と市川昭介と (マゾヒズムに花札を!より) ~ 『歩いてったり、泳いでったり、歌って本当に』 ~ 本稿、Xアカウント『昭和歌謡ワールドの女・安福久美子応援アカウント ~ 寛大なる司法判断を心待ちにします』の案内を兼ねます
花札と歌舞伎と市川昭介と マゾヒズムに花札を! 歩いてったり、泳いでったり、歌って本当に 昭和歌謡ワールドの女・安福久美子応援アカウント ~ 寛大なる司法判断を心待ちにします スーパームーン 斧定九郎 柳 - 11月 市川昭介 アンコ椿は恋の花 都はるみ 明るくて元気な悲恋の歌 3分ちょっとの大歌劇 80億総白痴化ツール 筑波嶺に 雪かも降らる 否をかも 愛しき児ろが 布乾さるかも 多摩川に さらす手作り さらさらに なにそこの児の ここだかなしき 齋藤杏花 (さいとうあんな) 齋藤杏花
思えば、文化の日、あれが将に晴れの特異日だったんですわ。
おらっとこ、どうもそれ以降天気がよろしくありません。
そうなんだなあ、満月がスーパームーンになるとかで、張り切ってデジカメ調整して待機してたのに…
お月見どころじゃない、小雨さえ落ちてくるってヤツでねえ。
ん?沿岸部に局地的前線?
もう耳にタコとイカが出来てますわ。
でもまあ、こうなると、そう冒頭画像でそれとなく予告したよう、『マゾヒズムに花札を!』のパクリかえし復刻をするには、うってつけって事ですね。
こないだの斧定九郎で攻める事としましょう。
花札と歌舞伎と市川昭介と2006年11月18日 18時54分16秒 | 柳 - 11月
11月柳(雨)の20点札。あのお馴染みの小野道風は明治になって採用された図柄で、元々は雨に番傘だった…
前に話しましたね。
では、この番傘を差しているのは?
胴体も顔も描かれていませんが、妖怪変化の類ではありません。
斧定九郎という名の立派な人間です。
斧定九郎とは?
高名な歌舞伎役者ですよ。そう、名場面である"雨の中の浪人"…
うん、やっぱり48枚中、唯一実在の人物の描かれた札だったんですね。
さて、歌舞伎といっても今の感覚で考えては間違います。
大衆芸能として庶民の娯楽であった、当時、江戸時代に戻して考えないと。
そうですねえ。
今の人間が、歌謡曲を聞きカラオケで歌う、こんなあたりをイメージするといいでしょう。
ですから、同じく庶民の娯楽である花札の絵としては、道風よりも定九郎のほうがふさわしかったのかもしれませんね。
歌謡曲…
大物歌謡曲作曲家の訃報が、投稿日付ではなく実日付の方の昨日、9/26に飛び込んできました。
これも因縁でしょうかねえ? 奇しくも前に同じ「雨に番傘」の記事で紹介した市川昭介さんです。
ですから、今日は是非とも市川さんの話題で進めていきたいと思うんです。
伊豆の雨もいいですけど、冬の花・さざんかの宿も旧暦11月に相応しい。
うーん、色々目移りしますけど、やっぱり市川さんといえば、アンコ椿は恋の花ですね、僕的には。
見てみます? いや、曲を聴いて見ましょう。
アンコ椿は恋の花
作詞 星野哲郎 作曲 市川昭介 唄 都はるみ
三日おくれの 便りをのせて
船が行く行く 波浮港
いくら好きでも あなたは遠い
波の彼方へ いったきり
あんこ便りは あんこ便りは
あ・・・・あ 片便り
三原山から 吹き出す煙
北へなびけば 思いだす
惚れちゃならない 都の人に
よせる思いが 灯ともえて
あんこ椿は あんこ椿は
あ・・・・あ すすり泣き
風にひらひら かすりの裾が
舞えばはずかし 十六の
長い黒髪 プッツリ切って
かえるカモメに たくしたや
あんこつぼみは あんこつぼみは
あ・・・・あ 恋の花
昭和39年(1964)、この歌で一躍スターダムにのし上がったのが、都はるみさん。
市川さんの内弟子ですよねえ。
ああ、さわりの部分なら、ここで聞けますか。
そして、詞は星野哲郎さんですよね。
星野さんは、当初あまり乗り気でなかったと聞きます。
ところが、市川さんにこの天才少女を紹介され歌唱を聴くや一発で閃いて、この歌詞(佳詞)を書き上げたといいます。
うん1番だけでなく、2番・3番もいいんだなあ。
歌枕を悉く入れているだけじゃない、ちゃんと歌唱者の芸名や年齢 (当時はるみさんは、歌詞どおり本当に16歳。尚、市川昭介作詞作曲『はるみの三度笠』における「笠に隠した19のつぼみ」には若干の誇張があり) まで入れてますよ。
なんていうか、一番から三番までで全体ひとつの物語をつくるとでも言いましょうか。
その証拠に、よく見ると題名「アンコ椿は恋の花」は歌詞のどこにも出てこない。
ねえ、よく見てください。「アンコ便りは片便り」「アンコ椿はすすり泣き」「アンコつぼみは恋の花」
当時はEPレコード容量の制約のため、今みたいな長い歌謡曲を作ることはできませんでした。
その制約がために逆に生まれた『3分ちょっとの大歌劇』です。
そして、そして、何といっても、市川さんの曲&プロデュースですよ。
こんな明るくて元気な「悲恋の歌」が他にありましょうか?
再三お伝えしている万葉集の屈託のない明るさにも似ます。
うん、だからこそ、時間を越えて世代を超えて共感を生み、歌い継がれていくのでしょうね。
明るくて元気な「悲恋の歌」、アンコ椿は恋の花…
それを生んだ市川昭介さんを送るべく、明るいお悔やみにしてみました。合掌。
と、この言い回し、
↓
歩いてったり、泳いでったり、歌って本当に
につい今しがた追加された部分を丸写ししました。
………
………
わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!
いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて~!!
(;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!
『目指せ!! 平成の女蜀山人!』の原文行く前に先に『アンコ椿は恋の花』を出しちまいましょうか。
再生できない場合、ダウンロードは🎥こちら
「あはっ!」のミユも散々暴露話したなあ、この歌のコブシを誇張して唸るのが、ゼニんなんねえシロート芸の十八番だったって。
その「あはっ!」のミユの、同じくゼニんなんねえ投稿が以下です。
歩いてったり、泳いでったり、歌って本当に2005年05月30日
筑波巻14-三三五一、東歌。
筑波地方に伝わる俗謡ですか。
田舎訛で、
子等 → 児ろ
布 → にの
となっていることは、一字一音の原文、
筑波祢尓由伎可母布食留伊奈平可母加余思吉児呂我尓努保佐流可母
で確認できます。
これも犬養節『かわいいあの子ちゃんが~』で聞きました。
それより大事なのは「歌は(一箇所に留まらず隣地へと)歩いていく」でしたっけ。
たとえば、「三浦岬でどんと打つ波はよ~♪」が、色んなところでその地名を入れて唄われる…
神奈川県の民謡、ダンチョネ節ですね。
あるいは戦争中は『断腸ネ節』として特攻隊の悲哀が唄われ、戦後平和になったらまた別な形で唄われる…
おっと、本筋に戻しましょう。これを見てください。甲斐が嶺に 白きは雪かや いなをさの 甲斐の褻衣や 晒す手作 晒す手作一風俗歌一
どっかでみたような?
↑と、
そう、あそこです。
茨城県の俗謡と東京都の俗謡は、山梨県まで「歩いて」って、二つくっついちゃったんですね。
いなをさの、なんて合いの手になっちゃって。
陸路を歩いていった話は、これが始めてですが、海を渡っていく話は前にもしました。
船乗りの唄ハイヤ節が、佐渡では佐渡おけさになり、塩釜では塩釜甚句になる。
鹿児島小原節と東京音頭はイントロが同じ、
って、どーして私ってまともにはオトせないのかな、あはっ!
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閉鎖後の翌年9/27椿咲く 山を見上げて 細き船 波浮の入り江の かの岸へ行く (与謝野鉄幹)
筑波の記事の続きに突如現れ出でた波浮港! ってことで、閉鎖後も折に触れて加筆をしている ミユ です。
はい、筑波(山)と(波浮港で名高い)伊豆大島とはきってもきれない間柄にあるんですよ。
西に冨士が峰、東に筑波、って坂東の民にはお馴染みのこの光景、それに基づく「富士山と筑波山の背比べ」の民話です。
まあ、標高877mの筑波山が「長身日本一」を賭けて富士山と背比べする、なんておこがましいと感じる方もあるかと思いますが、それはそれ、筑波というのは全くの平地にポコッと聳え立ってる山です。
ですから、標高数値以上の高さがあるわけで、富士山と並べられるわけですよね。
さて、昔、昔のことです。
富士山と筑波山は、お互いに自分のほうが背が高いと言って譲りませんでした。
そこで、あるとき、他の山々立会いの下、背比べをすることになりました。
その結果…
筑波山の方が、わずかに背が高いということが判明しました。
収まらないのは富士山ですよ。鉈を持ち出して、筑波山を叩き出しました。
筑波は削れて、どんどん背が低くなる、そして今の877mにまで縮んでしまいました。
で、削れた土は、どこへ?
太平洋へと飛んで言ったんですよ。南の方にぽつん、ほつん…
こうしてできたのが、伊豆諸島なのです。
てな、具合です。
さて、この伊豆大島。流石に万葉集には出てこないものの、関東一番の民謡の宝庫ではありますよねえ。
そして、冒頭の鉄幹始めとして、数々の文人も歌枕にしました。
さ・ら・に、そして~
近代歌謡においても、名高い歌枕ですよねえ。
ふふん、今だから言いますけど、私、声楽は少々嗜みましてね。あ、楽器は全くダメよ。
予てよりの投稿内容で、お気づきになりました?
んなわけで、『波浮の港』(作曲の中山 晋平が野口雨情に断りなく勝手に「ヤレホンニサ」って入れちゃったヤツ)あたりもよく歌いますけど、今日は別の波浮港で続けましょう。
というのはです。
昨26日、市川昭介さんが亡くなったでしょう。
ですから是非とも、市川さんの代表作『アンコ椿は恋の花』で進めたいとおもうんですよねえ。
これも、よく歌いますよ~、私。
いやいや、アンコ椿に関する限りは1円にもならない裏芸の部類ですよ、このblogと同様。勘違いめさるな。
♪~ あんこ~~ だよりーはー~
って、サビの部分を、誇張して、
♪~ あんくぉ~~ だよりーは・ぁあ~
って歌うと、奴隷どもが、
「みやっこ!」 「はるみちゃん!」
って、お決まりの掛け声を入れる。ホント、有名なバカ一家でございます。
そうでした。1964年、この歌で一躍スターダムにのし上がったのは、勿論都はるみさん。
市川さんの内弟子ですよねえ。
ああ、さわりの部分なら、ここで聞けますか。
そして、詞は星野哲郎さんですよね。
星野さんは、当初あまり乗り気でなかったと聞きます。
ところが、市川さんにこの天才少女を紹介され歌唱を聴くや一発で閃いて、この歌詞(佳詞)を書き上げたといいます。
うん、2番・3番もいいんだなあ。
三原山から 吹き出す煙
北へなびけば 思いだす
惚れちゃならない 都の人に
よせる思いが 灯ともえて
あんこ椿は あんこ椿は
あ・・・・あ すすり泣き
風にひらひら かすりの裾が
舞えばはずかし 十六の
長い黒髪 プッツリ切って
かえるカモメに たくしたや
あんこつぼみは あんこつぼみは
あ・・・・あ 恋の花
歌枕を悉く入れているだけじゃない、ちゃんと歌唱者の芸名や年齢 (当時はるみさんは、歌詞どおり本当に16歳。尚、市川昭介作詞作曲『はるみの三度笠』における「笠に隠した19のつぼみ」には若干の誇張があり) まで入れてますよ。
なんていうか、一番から三番までで全体ひとつの物語をつくるとでも言いましょうか。
その証拠に、よく見ると題名「アンコ椿は恋の花」は歌詞のどこにも出てこない。
ねえ、よく見てください。「アンコ便りは片便り」「アンコ椿はすすり泣き」「アンコつぼみは恋の花」
当時はSPレコード容量の制約のため、今みたいな長い歌謡曲を作ることはできませんでした。
その制約がために逆に生まれた『3分ちょっとの大歌劇』です。
そして、市川さんの曲ですよ。
こんな明るくて元気な「悲恋の歌」が他にありましょうか?
元記事その他で再三お伝えしている万葉集の屈託のない明るさにも似ます。
うん、だからこそ、時間を越えて世代を超えて共感を生み、歌い継がれていくのでしょうね。
明るくて元気な「悲恋の歌」、アンコ椿は恋の花…
それを生んだ市川昭介さんを送るべく、明るいお悔やみにしてみました。合掌。
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同じく翌々年2/24
はい、目指せ!! 平成の女蜀山人! 、まだ続いてますよ~
で、前回お知らせしなかったことです。
実は、いくつか別サイトも立ち上げてまして、それらも含めたところで継続しています 目指せ!! 平成の女蜀山人! でございます。
そのうちの一番纏まったものが、同じくライブドアさんのBLOGでやっておりましたサディズムに花束を!ですか。「やっておりました」と過去形で申し上げました。
そうです、そうです。これも終結宣言しちゃいましてね。
ただし、その折に登録していたにほんブログ村さんには未だお世話になっているところです。
本日の加筆は、そこからです。
まあ、この私のことですから、ちょっとありましてねえ。
ごらんになって頂きましょうか。2箇所の反転文字をクリックください。
で、です。
村長さんというハンドルを使う主催の方がいくつか、「この言葉が似合わないのです」とあげてらしたでしょう?
うん、このBLOG的にお話すべきは、ここでしょうね。
私の見解はといえば…
一言で言うなら、列挙された言葉は千差万別。
成る程忌み言葉として一般に定着してるものもあれば、果たしてと首を傾げるものもあり…
ここで展開したいと思うのは「晒す」なんですよ。
なんでまた~? っな感じでして、はい。
ですから、ここへの加筆なんですけどね。
ねえ、「多摩川に さらす手作り さらさらに」
擬態音「さらさら」を導き出すための「晒す」、というよりも語源と言ってもいいでしょうか。
自分たちが織り上げた布が、こう、済んだ川水に、さらさら、さらさら、と。
多摩の女性たちの、労働に対する喜びが千数百年の時を飛び越えて伝わってきます。
甲斐に入って「甲斐の褻衣や 晒す手作 晒す手作」
お日様がサンサンと輝く、この自然の恵み。
そして、それに対する我々の祖先たちの敬虔なる感謝の気持ち。
「さ」「ら」、どちらも母音は明るいア音です。
まあねえ、くどくは言いたくないんですけど…
古代だけでなく現代においても「晒す」という言葉に忌みの要素は見当たりません。
おそらく村長さんという方は、お気の毒によっぽどネガティブな用例の「晒す」ばかりご覧になってきたのか、或いは失礼ながら「晒す」の意味を勘違いなさってるのか。
かつて多摩川の歌が甲州に歩いていった折には、八王子を通らなかったようです。
おっと、おっと、ごめんなさい!
減らず口じゃないんだ。「晒す」というのは明るい言葉だということを伝えたいのです。
逆に、ネットというところは暗い、ダークがデフォルト、ネットとはUGな空間、だからこそ「晒す」が忌みと感じられるのでしょう。
♪~ 辛い浮世の 路地うらで
毒と知りつつ 呑むお酒
下田港の お月様
明るすぎます お吉には
前回加筆でちらり登場したご当地伊豆に因んだ歌謡曲から、お吉物語・最後のフレーズです。
なんか妙に身につまされるものがありますねえ。
そうです。人のことではありません。
私自身、実名を公表していないネット人格として、ある意味「ネットの路地裏」を行く身かもしれません。
実人格を表に出せない分、せいぜいネット人格の実体たる投稿だけは積極的に日に「晒」して、「お月様」すら「明るすぎます」と感じないようにしたいと思います。
と、何だか自分でも訳が分かんないこと書いてますねえ。
ええっと、万葉で始まって伊豆の話に脱線、っと。
巨大なご当地ソング集・万葉…
はいはい、ちゃんと伊豆の歌もありますよ。
こんなのはどうだ? 巻十四・3360。あしがりの 土肥の河内に、出づる湯の 世にもたよらに 子ろが言はなくに
ホント、古くて新しい古典!
おっと、おっと、先走り。あしがりの土肥の河内ってのは今で言うところの、湯河原温泉のことです。
ああ、湧いても湧いても絶えることのないお湯のように絶えることのない(二人の恋)なんて、あの娘は言うのだが、、、
ねえ、湯河原・湯の町・恋の歌って、現代演歌定番の世界ではありませんか?
但し残念ながら、伊豆の歌はあんまり多くないのです。
というのは、ほら、交通の関係。昔の東海道は足柄回りだったでしょう?
1933年に丹那トンネルが完成するまでは。
万葉時代を起点に考えれば「つい最近」まではです。
よって万葉に収録されている三首のみなんですが、その分足柄・御殿場の歌は多いですよ。
ん? 前にどっかにとどっとまとめて掲載したことがあるような、ないような…
ボロが出ぬウチに、あはっ! でオトし、、、
さてはて、最後、80億総白痴化ツールの新垢のご案内をしましょう。
新垢といっても『口裏合せで犯罪者にでっちあげられた奥野淳也氏を影ながら応援するアカウント』の名称変更なんですけど。
えー、『昭和歌謡ワールドの女・安福久美子応援アカウント ~ 寛大なる司法判断を心待ちにします』。
そうなんですよ、過日の本BLOG記事の発展です。
つーことで、歌謡曲を一杯貼ります。
アンコ椿、使えそうですね、あはっ!
