さて、11月最初の日曜。また今月も『マゾヒズムに花束を!』の該当月復刻未済で、『マゾヒズムに花束を!』連動万葉噺をすることになりますが

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先ずはで御座います。
今晩は十三夜になりますねえ。
間近の手製写真でもupしてアイコンにしたいとこですが、何故か愛機のご機嫌が悪く、夜空は全く撮れず
さようならばと、目にした我が庭の紅葉第1号をご披露しましょう。
はい、後々関連が出てきますので、ご記憶の程。

さて、11月、と。
花札の11月は柳…
というよりは、雨と言った方がお馴染みかもしれません。
少なくても季節感出すのであれば、断然 雨>柳 だ、
勿論、雨にも色々ありますが、ここで注目すべきは時雨でしょう。
うん、四の五の言うより先に歌を出しちまった方が話が早いわ。
早速に行きます。

十月 時雨の常か わが背子が 屋戸の黄葉 散りぬべく見ゆ


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巻十九4259は大伴家持。
右の一首は、少納言大伴宿祢家持、当時梨の黄葉を矚てこの歌を作れり、
の左注があります。
はい、ここで冒頭と繫がった、万葉時代は黄葉の標記の方が多くまた もみち と清んで読んでた紅葉ですね。

十月、かんなづき、ね。
そうなんだ、新暦11月は大体は旧10月、今年の場合、冒頭言ったように今日が旧9月13日で随分遅れてますけどね。
これは再三ご案内のよう、今年は閏6月があったためです。
歌で注目すべきは結句 散りぬべく見ゆ でしょう。
原文は 可落所見 ミユという語は動詞の終止形を請けるもの(昔の私のハンドルではない、この括弧書きは読むべからず)ですので チリヌベシミユ と読む説もあります。
そこさえ押えれば、歌意は瞭然でしょう。

もう一首、巻八にも 十月 時雨 の歌があります。

十月 時雨に逢へる 黄葉の 吹かば散りなむ 風のまにまに


1590は秋の雑歌の段に登場する、天平10年(738年)10月、右大臣・橘奈良麻呂の邸宅で開かれた宴会で詠まれた歌11首とある中の1首です。
右一首、大伴宿祢池主とある、そう、奇しくも家持の恋人・大伴池主が似たような歌を詠んでるんですよね。
流石赤い糸…、と艶っぽい話にもって行きたいとこですが、ここは、橘奈良麻呂に注目して。

奈良麻呂は橘諸兄の子で、諸兄の死後、光明皇后を後ろ盾として勢力を拡大してきた藤原仲麻呂、後の道鏡を廃するため、757年、大伴氏、佐伯氏などと結びクーデターを計画しました。
ですが、発覚して捕らえられ獄中死の最期を遂げるのですわ。

池主もこの橘奈良麻呂の変に加わって捕縛され、その後の消息が分からなくなってしまうのです。

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