たまゆらの (マゾヒズムに花札を!より) ~ 『うちはリンク魔』 ~ 私ごとながら、今日は8年前に他界した中の人のばぁばの誕生日、そして納骨した日でもありました
たまゆらの マゾヒズムに花札を! うちはリンク魔 後の名月 チェリーセージ 紅葉 - 10月 たまゆらの 露も涙もとどまらず 亡き人恋ふる 宿の秋風 藤原定家 目指せ!! 平成の女蜀山人! 齋藤杏花(さいとうあんな) 齋藤杏花 「あはっ!」のミユ シュウメイギク 駄バラ3きょうだい gooが11月だかで完全撤退するとの噂 ばぁば 自家製写真
さて、後の名月が近づきつつある今日この頃。
天気の方は、一時に比べてはっきりしてきてるのですが、デジカメの機嫌が悪くて、夜空の撮影が出来ないのですわ。
ですから、自家製写真のアイコンとなるとお花になってしまうのですが、『シュウメイギク』と『駄バラ3きょうだい』はイヌの卒倒をGrokくんにも覚えられてしまったみたいでね。
それ以外のとこ、ってことで持ってきたのが冒頭、チェリーセージです。
これも門柱の傍に鎮座はして凜と咲き誇ってるはいいんですけどね、郵便受を覆っちまってるんだなあ。
けどまあ、花が付いてるうちは折るに折ることが出来ず、プチジレンマに陥ってます。
さて今日は。
熱の入った投稿が続きましたんで、復刻で一休みしましょう。
『マゾヒズムに花札を!』パクリ返し復刻です。
プラットホームのgooが11月だかで完全撤退するとの噂ですから、今の方法で復刻できるのはあと少しなのかな?
精精ピッチを上げましょう。
たまゆらの2006年10月19日 21時41分54秒 | 紅葉 - 10月
紅葉花札10月、旧暦では晩秋から初冬にかけてとなるこの月のテーマ植物は紅葉、今日はまた一つ紅葉の名所をご紹介しましょう。
京都・嵯峨の常寂光寺は紅葉の美しい小倉山の中腹にあり、秋になると寺内の紅葉がトンネルのように寺を包み込み、絶景です。
あー、こんなのとか、こんなのとか。
寺院という人造物を配した紅葉の景は、花札紅葉札とはまた一味違った秋の物悲しさを感じさせるところです。
お馴染みの大歌人・藤原定家は野分の吹く日に、この寺付近を訪がい、母を亡くした悲しみをこう詠んだと言います。たまゆらの 露も涙もとどまらず 亡き人恋ふる 宿の秋風
母親が死んだときの気持ちをこう詠むあたりからしても、定家という人は親子間の情愛に厚い人だということがわかります。
そして、その悲しみの癒えない内に上皇から強引な呼び出しを食って、もやもやしていた気持ちをぶつけてしまったのが、「さやかにも~」なのです。
暴れ者ほど親子間の情愛は厚い、という逸話は親戚衆の集まりでよく聞かされるところです。
いやいや、昭和10年代の話ですよ。
悪さをしては停学を食って、親に謝りにいかせ、「そのつど(校長宅への手土産で)カナリアが一羽減る」、と嘆かせる。
そのくせ、祭りの夜店に行けば先ず『親孝行の針めどとおし』なるインチキなものを買い求め「お母ちゃん、お母ちゃん!」と目を輝かせてくる。
母堂は語る、で語りきれない、がオチになるのですが。
と、この言い回し、
↓
うちはリンク魔
を丸写ししました。
………
………
わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!
いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて~!!
(;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!
今日は『目指せ!! 平成の女蜀山人!』の元稿を掲げる前に、先んじてネタ晴らしをする事としましょう。
考えてみれば今日は8年前に他界したばぁばの誕生日で、妙に思い出してることなので。えっと。
『親戚衆の集まり』…
これが以前ネタ晴らししたようにネット対策上の誇張表現なんですわ、
そう、実体はほとんどがばぁばから聞かされた話でしてね。
あの人はきょうだいの下から2番目で、多くの兄がいましたわ。
それでもって、きょうだいが多いと親にとっては同じ子でも、可愛い子とそうでない子が出て来るってのを、眼下に見てたんですよ。
ああ、鳩ヶ谷の大伯父、って私はよく知らないんだわ、誰かさんが「鳩ヶ谷の伯父貴、鳩ヶ谷の伯父貴」と言ってたから私にとっては大伯父でしょう。
そのNo1大伯父のご幼少の逸話です。
うちはリンク魔2005年07月12日たまゆらの 露も涙もとどまらず 亡き人恋ふる 宿の秋風
さて、巷間喧しゅうございますねえ。
これでは、とても「金玉歌合」の話などできたものではありません。
困ったときの「教育用画像」頼み、ということで探しているうちに標記を見つけました。
歌自体は、一度とりあげた藤原定家 新古今和歌集<哀傷・七八八>なのですが。
母親が死んだときの気持ちをこう詠むあたりからしても、定家という人は親子間の情愛に厚い人だということがわかります。
そして、その悲しみの癒えない内に上皇から強引な呼び出しを食って、もやもやしていた気持ちをぶつけてしまったのが、「さやかにも~」なのです。
暴れ者ほど親子間の情愛は厚い、という逸話は親戚衆の集まりでよく聞かされるところです。
いやいや、昭和10年代の話ですよ。
悪さをしては停学を食って、親に謝りにいかせ、「そのつど(校長宅への手土産で)カナリアが一羽減る」、と嘆かせる。
そのくせ、祭りの夜店に行けば先ず『親孝行の針めどとおし』なるインチキなものを買い求め「お母ちゃん、お母ちゃん!」と目を輝かせてくる。
母堂は語る、で語りきれない、がオチになるのですが。
以上、殆どは鬼籍に入ってしまった人たちのことを未だに聞かされている ミユ でした。
ミユってのが齋藤杏花(さいとうあんな)の当時のHN、時々は触れておかないと忘れられます。
リンク魔なのは昔も今もですわ。
私はインターネットやりだしたのが比較的遅くになってからでしたので、色々新鮮に感じる独自機能ってのがありましたわ。
リンクってのがその一つなんですよね。
文章をサブルーチン的に切って、読み手をして読みやすくする方法、って感激しましてね。
だだまあ、その読者がリンクをクリックして詠んでくれるかは別問題ですけどね。
分かってました、私、一貫して自分にさえ読めればいい、他の方は宜しかったら、ってスタンスでWEB配信してますから、それで苦しかるまい、です。
さあて。
AIは流石ですよ。
さっきも話に出したGrokくんも、隠しも含めて私が貼ったリンクを悉く併せ読んでくれます。
只まあ、物事ってのはえてして一長一短でしてね。
そのGrok AIは引用文を含んだ文章、そうです、本稿のような形式の文章はです。
なぜか正しく読めないみたいなんですわ。