尉 (じょう) (マゾヒズムに花札を!より) ~ 関連『目指せ!! 平成の女蜀山人!』稿(長くて入らない!)~ 奇しくも前回に続き本稿も三国志ネタです
尉 (じょう) シュウメイギク #高市で末世 最悪の政権爆誕 マゾヒズムに花札を! 紅葉 - 10月 藤枝かえで 五丈原 サクラ大戦 私、「旧環境」にあったテーマの同名、いくつか立てたんですよ~ なのにどれも… 別テーマで知った名前を見つけるのはトホホですよねぇ 目指せ!! 平成の女蜀山人! 三国志 陳舜臣 秘本三国志 黄巾征伐 裏同盟 南蛮討伐 遼東の公孫氏 齋藤杏花 (さいとうあんな) 齋藤杏花
今年もシュウメイギクが生えてきました。
これ、面白いんですわ、毎年毎年出る場所が違うんだなあ、何で?
はあ、考えられる可能性はというなら、地下で色んな植物の根やら地下茎やらば広範囲にわたってかんがらがっており、その年の一番勢いのあるのが無事、地上で花咲くってことですよねえ。
だとしてら随分と雄大、いえいえ私は、人造物みたくになった庭は好きではありませんから、これでいいのだ、で御座います。
ところでです。
この写真、随分と暗いっしょ?
そうなんだなあ。
このとこ、おらほう、お天気が極めてよろしくない、午後んなるともう、夕方のような暗さでねえ。
ふたたびそうなんだ、そろそろマットレス出して蒲団を入れ替える気温なんだけど、干す機会がなくてねえ。
まるであんです、最悪の政権が誕生した心のもやもやを映し出すかのような。
#高市で末世 、おっと!造詣もなく只只不快なことで紙面裂く愚もない、噺入りましょう。
今日は『マゾヒズムに花札を!』のパクリ返し復刻、何故か10月の札の入ってない、紅葉 - 10月の部投稿です。
尉 (じょう)2006年10月16日 23時01分25秒 | 紅葉 - 10月
今日は、5月菖蒲の月に書いた記事の続きで、セガの看板ゲーム『サクラ大戦』のネタの続きといきましょう。
あ、花札をイリュージョンしたこのゲーム登場のヒロインたちは、全員花に関係する名前、にも拘らず花札のテーマ植物ずばりの名前は意外と少ない、あの話です。
うん、もうひとりいますか。
10月紅葉、この月です。
藤枝かえで…
カエデとモミジはイコールとのことでしたから、彼女もまた該当です。
ただし、ただしが3度くらいつきそうなんですよ。
そもそも、攻略対象外だった姉・あやめの代わりに、2作目以降に登場したNPCなので。
階級はあやめと同じ中尉ということで、同じく主人公・大神の上官という設定なのですが、これが実に不自然だ。
姉と違って、華撃団への功労がありません。そうなるとこの年齢で中尉は…
かえでを副指令にもってくるのは設定に無理があったのではないでしょうか?
アイリスの年齢設定と並ぶ、『サクラ大戦』の泣き所といえるでしょう。
チューイが足りなかったというわけでもないでしょうが、さてさて。
因みに、尉官というのは将校では一番の下級ですよねえ。
尉(じょう)というのは、カミ、スケ、ジョウ、漢字は色々あてますがそのジョウ、三等官という意味です。
うん、これが中国では。
太尉というのは、最高位ですよ。今風に言えば、軍事担当宰相。
いつか、三公の話をしましたよねえ、探してみてください。
前漢では重要な役職だった太尉も、時を経るに従って形骸化し、ついにあの曹操が丞相制を復活させたことにより廃止されることになるのですが。
その曹操が起こした魏でまた復活するのが興味深いところです。
即ち、司馬懿が明帝の命を受けて、太尉として遼東の公孫淵の討伐を行った…
遼東の公孫氏は、演義前半に登場した河北の公孫讚とは、縁もゆかりもありません。
2世紀後半、後漢の地方官だった公孫度が遼東に築いた政権ですよね。
西の烏桓・鮮卑、東の高句麗を打ち従え、ちょっとした独立国家の体を。
倭の国あたりも彼ら視点では属国だったのでしょう。
例の司馬懿仲達に滅ぼされることになるのですが、その折の仲達の手際のよさったら!
とても五丈原のヘタレ武将と同一人物とは思えません。
そこらあたりから逆算して、五丈原の戦いはヤオじゃなかったのか? という説が生まれるのでしょうね。
と、この言い回し、
↓
私、「旧環境」にあったテーマの同名、いくつか立てたんですよ~ なのにどれも… 別テーマで知った名前を見つけるのはトホホですよねぇ
を丸写ししました。
………
………
わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!
いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて~!!
(;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!
っと。
『目指せ!! 平成の女蜀山人!』の元稿ですね。
私、「旧環境」にあったテーマの同名、いくつか立てたんですよ~ なのにどれも… 別テーマで知った名前を見つけるのはトホホですよねぇ2005年08月27日
また、三国志ネタに振りましょうか。
今日は遼東の公孫氏の話なぞを。
2世紀後半、後漢の地方官だった公孫度が遼東に築いた政権ですよね。
西の烏桓・鮮卑、東の高句麗を打ち従え、ちょっとした独立国家の体を。
倭の国あたりも彼ら視点では属国だったのでしょう。
例の司馬懿仲達に滅ぼされることになるのですが、その折の仲達の手際のよさったら!
とても五丈原のヘタレ武将と同一人物とは思えません。
そこらあたりから逆算して、五丈原の戦いはヤオじゃなかったのか? という説が生まれるのでしょうね。
はいはい、長ったらしいタイトルの上に、今となっては陳腐で各位にはチンプンでしょうから、略しました。
って三国志ネタですね、出典は陳舜臣・秘本三国志。
演義でお馴染みの主要な戦いのいくつかが、実は八百長・馴れ合いの類だったって前提で書かれてるんですわ。
曹操の黄巾征伐や劉備との裏同盟、或いは後の孔明南蛮討伐がそれだったってのは、手を打って成る程!と頷けましたが。
五丈原まではいくらなんでも、って気がします。