秋を彩る (マゾヒズムに花札を!より) ~ 『劉備と呂布のキミョーな関係』『直リンくらいしたって文句言えた義理じゃないわね、ふんっ! って独り言、、、』 ~ 年取るって楽しい!
秋を彩る マゾヒズムに花札を! 劉備と呂布のキミョーな関係 直リンくらいしたって文句言えた義理じゃないわね、ふんっ! 落葉しぐれ 紅葉 - 10月 麦と兵隊(徐州小唄) 茶摘 目指せ!! 平成の女蜀山人! 陳舜臣 秘本三国志 七月の 青嶺まぢかく 溶鉱炉 山口誓子 イーダセーン 齋藤杏花 (さいとうあんな) 齋藤杏花
えっと、今日は久々にお日様が出んのかなあ?
いやはや、おらほう、このとこ予報以上にお天気が悪く、何やら日中一杯降るとも降らぬともつかぬ小雨に見舞われてまして、外に干し物が出来ない状態が続いてるんですわ。
今日こそお蒲団を日光浴させぬことには、身体に黴が生えちまいそうですわ。
はい、冒頭画像の落葉しぐれね。
私の好きなオールド歌謡の舞台には、まだ流石に時期早ですが、天気はそんなカンジと申しました。
花札の季節は旧暦ですからその時期なんでしょうねえ。
10月紅葉からは色々拾えます。
今日は、直近大河噺で微かに触れた「麦が微笑む髭畑」を含む稿を、パクり返し復刻しましょう。
秋を彩る2006年10月03日 17時25分31秒 | 紅葉 - 10月
紅葉の5点札には青地の短冊が配されますよねえ。
コウヨウと書いて紅葉と読むくらいに、紅葉(コウヨウ)の代表格の紅葉(モミジ)が青タンとは、是いかに? といったところです。
改めまして文部唱歌の話を持ち出すまでもなく、紅葉は秋の彩りでしょう。
時に、カエデとモミジはどう違うのでしょう?
あえて調べませんが、関係する僕の小学校時代の武勇談でも披露しておきましょう。
この文部唱歌の歌詞、「松を彩る カエデやツタは」の部分を、ふざけて、
♪~ かえーで やー も・み・じ
と歌ったんです。
なのに、誰も気がつかない。いやいや、それどころか、
「え?」
と聞き返しても、
「それで合ってるじゃないの」
と音楽教師。
ま、それから先は言わぬが花なのですが、ともかく、
歌の歌詞なんで案外誤解されたまま歌われることが少なくない
ってことなんでしょう。
有名な例を言えば、『麦と兵隊(徐州小唄)』
「髭が微笑む麦畑」
が
「麦が微笑む髭畑」
と伝えられ、そのまま歌っていた向きもあったようですよ。
どんどんいきましょう。
もうひとつ小学校時代の思い出で、同じく文部唱歌の『茶摘』です。
2番の歌詞。
「ひよりつづきのきょーこのごろを」を「キョウコちゃんのいい人のゴローちゃん」
だと固く信じて歌っていた…
と、この言い回し、
↓
劉備と呂布のキミョーな関係
直リンくらいしたって文句言えた義理じゃないわね、ふんっ! って独り言、、、
を丸写ししました。
しかも、下の方は、、、
………
………
わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!
いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて~!!
(;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!
『目指せ!! 平成の女蜀山人!』の元ネタは下記です。
何故か、順が逆様のような。
劉備と呂布のキミョーな関係2005年06月22日
さてさて、三国志の呂布奉先。
演義の方では、恩知らず中の恩知らずというキャラ設定ですよね。
まあ、彼が漢人でなく遊牧民族であるということを割り引いて評価しないと気の毒なんですが。
その奇行のうちでも一番有名なのが、徐州時代の劉備との関係です。
次第次第に味方の少なくなってきた呂布は徐州の牧・劉備を頼る。
ところが客将として自分を迎えてくれた劉備の留守に徐州を掠め取る。
そして、なんとなんと、行き場のなくなった劉備を今度は逆に客将として迎える。
こうですよね。
なんでまた呂布は必ず敵になるに違いない劉備をむかえ入れたのでしょう?
横山光輝さんは、こう考察してます。
①かつて自分が劉備にむかえ入れられたことに多少は恩義を感じていた。
②袁術に敗れた劉備の力をあなどっており、害はないと考えた。
③徐州には劉備の肩をもつ者もかなりいたため、その勢力を懐柔するために劉備と手を組みたかった。
④劉備の性格を考えた上で、恩を売っておけば自分に敵対することはないと甘く考えた。
⑤劉備を放り出して、彼が曹操や袁術などと手を組み徐州に攻めよせることが一番恐ろしく、身近に置いておけば安心だった。
⑥連合離間は乱世の常であり、自分に恨みを持つ劉備と組むのも良いと単純に考えた。
うーん。
ちなみに陳舜臣・秘本三国志では、曹操と劉備が裏同盟を結び、呂布&袁術を重ね斬ったというお話になってます。
徐州…
我が国においては20世紀にポピュラーになった地名ですね。
これです。
そうそう、この歌の歌詞、
「髭が微笑む麦畑」
が
「麦が微笑む髭畑」
と伝えられ、そのまま歌っていた向きもあったようですよ。
歌の歌詞なんで案外誤解されたまま歌われることが少なくない、という例でした。
直リンくらいしたって文句言えた義理じゃないわね、ふんっ! って独り言、、、2005年06月20日七月の 青嶺まぢかく 溶鉱炉
山口誓子
授業でこの句が出たときです。
誰かが「ヨーコがおろおろ(で「ようこおろ」)!」で野次を飛ばしたんです。
そうそう、某男子がヨーコに告ったんでしたねえ。
たちどころに「○月の (男子名)まぢかく ようこおろ」という替え句が…
って、今日はどうも喋りすぎのケがありますね。
中学時代の誰かがここを見てないことを祈るのみです。
さて、これと似た話で。
茶摘の唄2番の歌詞。
「ひよりつづきのきょーこのごろを」を「キョウコちゃんのいい人のゴローちゃん」
だと固く信じて歌っていた小学校時代の私、あはっ!
分かった、曰くの直リン騒動…
流石に20年余の時を経て、影も形もなくなってるようですが、私のローカルにはばっちり、ファイル保存がされてましたわ。
え?何の話かって?
だから。
20年経った今でも、これ以上はー
イーダセーンです、あはっ!