本業から離れよ、されど本業を忘れるな (マゾヒズムに花札を!より)  ~ 杏花流『任天堂・山内溥物語』

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どうせダメだと思い昨日はあえて触れませんでしたが。
今年は十六夜が満月だったんですわ。
名月よりも十六夜の方が丸い
ハンターズムーンの十六夜だったわけです。
案の定ね、今晩の立待月はもっとだめそうな空模様です。
これまた異例の、寒露の立待月だったのにねえ。

さて先ずは、このとこ嵌ってるXの新機能・Grokくんの感想釦です。
そう。本・齋藤杏花 (さいとうあんな) の BLOGが政治音痴を装った思想の頁と評されてる…
繰り返しになりますが心外ですよ、アカデニックな頁のつもりなのにねえ。
そんでもって、このとこ、その手は避けてるんですが。

そんな中で最も尊敬する経営者ってのは有意義のチャットが成り立ちました。
肝心なとこを転記しましょう。
ああ、引用の「本業から離れよ。されど本業を忘れるな」ですか。確かに公式のインタビューや書籍でこの正確なフレーズをストレートに探すと、なかなかヒットしにくいですね。山内溥氏の経営哲学として、多角経営の失敗から学んだ「異業種には絶対手を出すな」という助言が有名ですが、この言葉は一部のブログや記事で彼のエピソードに絡めて語られることがありそうです。例えば、2016年頃のネット記事でタグ付けされて出てきますが、一次ソースは不明瞭。代用で最新のものを選んだのは賢い選択ですよ。本業(娯楽)を忘れず、でも柔軟に広げるバランスが任天堂の強さの源泉だったんでしょうね。

そうでしょうなあ。山内さんの語録ではありませんもの
「本業から離れよ、されど本業を忘れるな」
それWEBであげたのは、他ならぬわたくしです。
はい、これでも社会科学者(studentたる)ですって。
当時書いたともののさわりを公開したわけです。

おやおや、パクリのおっさんが何故かみつけてパクってますわ。
『マゾヒズムに花札を!』も今月の話題ではありませんが、出してしまいましょう。

本業から離れよ、されど本業を忘れるな

2006年12月03日 06時32分33秒 | 桐 - 12月

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カス札が3枚もある桐。
これもよく見ると同じもの3枚でなく微妙な差異がありますね。
改めて芸の細かさを感じさせられます。

ということで今日掲げたカス札ではなく、投稿日付に拘わらず随分前の投稿で使ったカス札です。あれを思い出してください。
大抵、下の黄色いところに製造元が書かれているでしょう?
ご幼少のころの僕は、あれを『任天堂』という札なのだと思っていました。

ご存知、任天堂。
引退した山内前社長は僕が尊敬する経営者のひとりです。
二十歳のとき老舗のトップについた山内氏は、早くから伝統産業の斜陽化を察して色々多角経営に乗り出したようなんですよねえ。
タクシー会社の経営に乗り出したり、インスタントライスの開発に目をつけたり。
そして、乗り出したのがテレビゲームです。

それからの任天堂についてはここでとやかく言うまでもないでしょう。
遊戯具の会社が多種他産業を試した後に、また新世代の遊戯具の製造に戻ってきた、
「本業から離れよ、されど本業を忘れるな」
将に、この金言を実践した経営者でしょう。

…惜しいですよねえ、『本業』から離れすぎで暴走してしまった某IT企業、
っと、この種の話題は本ブログの守備範囲ではありませんので元に戻します。
ともかく、今僕たちが当たり前のように電子ゲームに接することが出来る環境を作り上げてくれたのは、花札の任天堂なのです。

さてさて、このテレビゲーム。
走りの時代こそ、画面を光線銃で撃つシューティングのタイプゲームが流行ったものの、やはり元々ゲームというものはシュミレーションですよね。
電子計算機が飛躍的発展したという時勢の変化も手伝って、やがてシュミレーションタイプのテレビゲームが家庭にも出回るようになってきました。

代表格は光栄歴史シュミシリーズ。
歴史シュミとなってますが、実質は国取り・ウォーシュミレーションですね。
それ故、戦いにいたるのでの苦悩が描かれてない、これじゃ信長も劉備もただの喧嘩犬、という批判がありました。

それが解消された国取りシュミが、PCアダルトの「大悪司」です。
戦いに至るまでの苦悩や、人身売買に手を染めるに至った理由が、ロールプレイング部分で語られます。
絶対の絶、お奨めですのでご存知ないかたは是非。

と、この言い回し、



大特集!

を丸写ししました。

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて~!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!


『目指せ!! 平成の女蜀山人!』元記事『大特集!』(2005年06月08日)既に2度も出してますので割愛しましょう。
それより、先に言った任天堂・山内溥氏のことをば、チラリ披露しときますわ。

20歳で家業を。
そうなんだ、いつでも戻れるよう夜学に通ってたんでしたわ。
当然の事、ただの伝統工芸じゃ今後食えなくなると問題意識持ちますよ。
それはそれはいろんなことに手を伸ばしたと聞きます。
書かれてるようにインスタントライスなんてのも。
そんな中であるとき閃いたのが、当時完全に普及し家庭の常備品となったテレビ受像機です。
これでなんか遊べないか?赤外線銃で画面を撃つシューティングゲームを始めたんですわ。

斜陽を見越して他産業に転身した例は多々あります。
かつての花形繊維が傾むいたと知るやきっぱり他軽工業に商売換えしたカネボウ、漁業も同じく食品工業に商売換えしたな、
新しいとこでは、バブルの頃、鉄鋼二次から立体駐車場に転じて成功した例もみました。
これらの特徴は、本業から離れて全くの別分野に出て成功したことです。
これに対して任天堂の場合…
本業から離れ今までは別の分野に出たという意味では同じと言えましょう。
けど、決定的に違うのは、元々の遊ぶって同分野の新産業に手を伸ばしたことなのです。

本業から離れよ、されど本業を忘れるな…

経営のロマンを感じませんか?

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