『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』第35回間違凧文武二道。田沼意次と鳥山石燕が相次いで退場しましたね。なんか、人の死が軽く扱われてるような…
べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜 大相撲九月場所 大相撲 木竜皇 伊勢ヶ濱 怪我で番付が下がるのは一時の事 全ての休場力士の福音 火曜大河噺 大河べらぼう 間違凧文武二道 田沼意次 某国営放送 会話死 鳥山石燕 命を軽んじてる 鎌倉殿の13人 人は死ぬ、いつか死ぬ、必ず死ぬ、死は避けられない 熱中症 コロナ死 麻原彰晃 鸚鵡のけりは鴨 時代劇=現代劇
ことある毎繰り返してるよう、本BLOGの記事は原則前日起稿、よって、
大相撲九月場所が開幕しまして…
と書けるのは今日の記事からになるのです。
で、
木竜皇、今場所もダメ…
陥落した三段目で初日から休場とのことでした。
なんか残念だなあ、ホント、こんなことになるとは夢想だにせず、公傷制度とんでもなしの記事のアイコンなんかにしてまって。
休場のレジェンドが冒頭の伊勢ヶ濱親方です。
部屋の尊富士が同じく初日からの休場に際しての談話が味がありましたね。
「怪我で(休んで)番付が下がるのは一時のこと。身体(に後遺症を残したら)は一生もん(だから休ませて治療に専念)」
全ての休場力士の福音になると感じ入りました。
さてつーことで、またいつもの火曜に戻した大河噺をば始めると致しましょう。
大河べらぼう、一昨日の第35回間違凧文武二道。
巨星墜つ、てか、田沼意次の死が描かれた回となりました。
しかも病床も回想も何もなしの、会話死ってヤツで。
いやにあっけねえなあと思ってたら、更に話が進んだとこ、奇行の鳥山石燕の死去が、歌麿の口から嫁取りおのろけ報告のついでに、あっけらかんと語られる…
これまた、愛想なさすぎ、取り様によっては命を軽んじてるとさえ言えるほどです。
はい、今年の大河は戦がなかった時代が背景、ですから人の死に触れられる事も少なかろうと思いきや、なんのその、毎回退場者の出る『鎌倉殿の13人』ばりのストーリーになってるこのとこです。
そうでした、そうでしたわ。
人は死ぬ、いつか死ぬ、必ず死ぬ、死は避けられない…
でしたわ。
我々ついつい忘れがちですけど。
虚構の世界だからこそ、却ってそれが目立つってことなんです。
これが現実世界なら…
今夏は猛暑が叫ばれましたね。
熱中症による死者がなんたら
いい例が、これです。
この死者ってのは、熱中症がなかったとしたら、死ななかった人たちなんでしょうか?
年代層の偏りから逆算するに、明らかにそうじゃありません。
一昔前に、コロナ死ってのがあったなあ。
これも、今となっては可也怪しげですわ。
要は、人が持つ人間は死ぬものだを忘れた錯覚を利用した、私に言わせればデマ情報なんです。
学ぶ事は多いですね、時代劇。
将に現代劇、現代を過去に投影した現代ドラマ…
さあて、さっきの「人は死ぬ、いつか死ぬ、必ず死ぬ、死は避けられない」の説法は…
多くの人はわすれてしまってるでしょうけど、麻原彰晃ですよ。
ねえ、今般アーチャリーに訴えられた上祐さんが、帰依してた当時「死者を前に嘆いても仕方ない」と引用してましたっけ。
んで、べらぼうに戻してサゲに掛かるならー、
次回、第36回の副題は、鸚鵡のけりは鴨 っていうみたいですね。
オウムのケリはカモ~?
出来すぎだ、あはっ!