連日の映像レビューという事になってしましますが、ここで杏花流『火垂るの墓』所感なぞを致しとう存じます。ずばり、青少年には見せなくない問題作

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昨日の稿で、
「クソあっちいこって!」
に続けて、
「こういうのを残暑と云うざんしょ?」
を入れるのを忘れてしまいました。
相も変わらずyou might でして。
次は、Oh! my march march ですかな。

と、おどけなければ収まりそうもない、個人的心持でして。
ほら、終戦日に金曜ロードショーでやってた、ジブリ『火垂るの墓』。
あれをようやっと観終ったとこで、そしてです。
恥ずかしながら夜中に、あれ思い出して、うなされたりなんかしましてね。
世の評価もジブリ史上、最も暗い話、
多分に漏れず、否、世間の価値観とは大きく異なるのかな?、齋藤杏花 (さいとうあんな)は不快感を抱いただけでした。
久しぶりに観返したってとこですが、前に観た折に印象に残ってた、上品なお母さんが蛆の塊になる場面以外には、印象に残るとこがないんですよ。
少なくても感情移入できる箇所などはないのです。
ノーカット版ということで、見た覚えのない蛍の飛び交う場面など、アニメ作品に相応しい描写も目にしたものの、逆にそれが筋のえもいえぬうすっ気味悪さを引き立たせるこてとになりました。

まあ、原作時代がそんなにもヒューマニズムに溢れた作ではありませんからねえ。
野坂昭如氏の回想に拠れば、あの『妹』が泣きゃがるもんで拳固でカッ喰らわして頭蓋陥没させたとの事でしたっけか?
映画の清太の節子に対する扱いも、必ずしも兄妹愛を感じさせるものではありませんでした。

世の論争の流れは伝統的に、西宮のおばさんが悪いか?清太が悪いか?なんですよねえ。
そして結局のとこ、誰も悪くない、戦争が悪い、の結論に持って生きたいのですよね。
私はね、清太が悪いってのは少々ニュアンスが違うと思うのですよ、
おっと、この点が本稿のキモですので、後からゆっくり云いましょう。
戦争が悪いってのは、西宮のおばさんが悪い説への反論と思料しますわ。
前に触れたTVドラマ版『火垂るの墓』では、おばさんが主人公でしたよね。
戦争によって、どんどん人が変わり、アニメ原作では明言されてない"兄妹いびり出し"がはっきり筋で描かれました。
「お母さんは鬼よ。清太くんたちを殺して!私、死にたい」
と搾り出す娘の横っ面張って、
「何云ってるの?戦争はこれから!生き残れば勝ち、死んだら負けって私たちの戦争が」
どうも、これが真・火垂るの墓と思えてならないのです。
尚、実写映画版は、おばさんが松坂慶子で上品なお母さんが松田聖子で、何より清太が死んでなくて…
閑話休題。
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15日TV放映のジブリアニメに戻しましょう。
この映画ってのは、そもそもは、隣のトトロのB面だったんですよね。
その為か、どうも手抜きっていうか、雑な展開が目立ちます。
すばりいってしまえば、先ず聴衆をして、戦争が悪いの、全体主義は怖いのと云わしめるという大命題がありきで、多くの人はその意図の上で踊らされ、どちらが悪い闘争を繰り広げているように感じられてならないのです。
先ほどいいかけた、清太が悪いってのは少々ニュアンスが違う、に続けましょう。
悪い、いいのそれ以前の段階で、この少年には、生きる能力というものがないのです。

頭がおかしいのでは?とさえ思えることも。
妹や母親に対し、如何なる愛情を持ってるかがまったく伝わってこない、対節子はこの際省略、母親について云いましょうか。
木箱の納めた骨壷を、おばさん宅の茂みに隠し、更にそれを廃坑に持ち込み、ほったらかしたまま浮浪児になってしまう、
どういう神経なんでしょうか?否、どういう意図でかかる設定を織り込んでるのか皆目検討が付かないといってるのです。
それ以前の、他大人に対する態度も、いかに動転があったにせよ、挨拶一つ出来ないと来てる、
これで秀才校に通う14歳ってんですから、呆れるばかりです。

何より、7000円もの現金性資産を持ってたんですよ。
えー、今の価値で云ったらどれくらいの金額?
念の為にGrokくんに訊いてみましたわ。
https://x.com/i/grok/share/bSvAggAu6DkUUb2Fvm9D31tUl

中には億の価値を云ってる人もいましたが、ああ、食料に換算したら、下手しりゃ17-18万程度の価値しかないか。
食料品が絶対量も含めたとこで徹底的に流通してなかったという前提の下では、ここまでの段差が出るのですわ。
それでもですよ、兄妹揃って餓死しなければならないなんて事はまずはなかった筈だ、
その当時、他にも焼け出され孤児になった子供なら数多いました。
この子たちには『親戚のおばさん』もいなければ、なにより着の身着のまま、なんらも資産も持ってなかったのです。
この子達の皆が皆、繁華街の隅で餓死したとも思えませんねえ。
しかも、終戦の翌月に早々と、米軍のやってくる一歩前にです。
大河べらぼうの白眉毛の台詞「金などはいざと言う時にはなんの助けにもならん」は、或いは火垂るからヒントを得たのかもしれません。

そういえば、逆の趣向、特攻隊の生き残りの丸裸からの大成功憚である胡桃沢の旗手シリーズにも、同じ台詞がありましたわ。
混乱期に金など持っててもなんの役にも立たん、兎も角なんでもいいから物に変えてしまえ、さもなくば最後はケツ拭き紙になってしまう、と。
ここらが逆算的な後だしジャンケンでしょう。
ま、その場に戻して、清太の決定的敗因は、情報を断ってしまったことでしょう。
全体主義や軍国主義に徹底的に抗うもよし、そうだったとしても、否、そうだったとしたら尚の事、情報収集だけは人一倍せねばならぬとこです。
8月15日で戦争が終わった訳でないと、盛んに繰り返してますが、劇中の清太は内地、人里近くに潜みながら、横井さんや小野田さんと同じく、玉音放送すらも知らなかったのです。
なんもーとも早!

さてもさても、不快なアニメ映画ですこと。
もう観たくありませんね。
否、録画保存しちまったから、観るかもしれない、そしてまた夜うなされることと…

兎にも角にも、青少年には見せたくない作品です。

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