菊は栄える (マゾヒズムに花札を!より) ~ 『あついあつい秋の季語』 ~ 終戦忌!けど、そう。これって秋の季語なんです。だから連動する花札は1月前倒しとなります
菊は栄える マゾヒズムに花札を! あついあつい秋の季語 終戦忌 戦後80年 菊 - 9月 勘太郎月夜歌 堪ふること いまは暑のみや 終戦日 及川貞 8月は 6日9日 15日 九段の母 靖国神社 目指せ!! 平成の女蜀山人! 齋藤杏花(さいとうあんな) 齋藤杏花 菊は栄える 葵は枯れる 桑を摘む頃 逢おうじゃないか 霧に消え行く 一本刀 泣いて見送る 紅つつじ 空をつくよな 大鳥居 こんな立派な おやしろに 神とまつられ もったいなさよ 母は泣けます うれしさに 島倉千代子 靖国参拝
さあ、愈愈8/15、戦後80年・終戦忌です。
そしてローテーションから行けば、ここらで『マゾヒズムに花札を!』のパクリ返し復刻をする頃。
つーことで、張り切って探してみるに…
8/15とその周辺は仲秋の名月関係ばっかですねえ。
まあ、そりゃそーだでしょう。
終戦が出てくるのは翌月になってから。
つーことで、一足早く、9月菊の記事です。
菊は栄える2006年09月05日 07時53分02秒 | 菊 - 9月
日本の秋を かざる花 ~♪
と文部唱歌に歌われた菊です。
戦後割愛されてしまった2番の歌詞、
あおぐ ごもんの 菊の花 ~♪
で歌われているように、かしこきあたりが家紋にしていることは、投稿日付に拘らずずいぶん前に話題にしました。
ところが、花札成立時期においては、この『かしこきあたり』はさしたる権威があったわけではありません。
『勘太郎月夜歌』という戦前歌謡に花を散りばめたきれいな歌詞がありますので、ご紹介しましょう。
3 菊は栄える 葵は枯れる
桑を摘む頃 逢おうじゃないか
霧に消え行く 一本刀
泣いて見送る 紅つつじ
考えてみれば幕末、薩長は徳川に替わる新しい権威を必要としていました。
そこではたと思いついたのが『菊のごもんのあのお方』ということなのでしょう。
話は突拍子もなくなりましたが、花札の9月菊はどちらかといえば中国の花と見たほうが、自然ということが言いたかったので、のっけからこう入りました。
そういえば、9月の節句は菊の節句ですものね。
さて、そのかしこきあたりですが、第二次世界大戦前に、その権威最高潮となりますね。
壬申の乱以来のことではないでしょうか?
そして、1945年8月15日です。
堪ふること いまは暑さのみや 終戦日 (及川貞)
正直宮城前に土下座した人たちの心情はおよそ理解できない僕ですが、この句意レベルなら実感として理解できます。
もう一曲、戦前歌謡の歌詞をみてみましょう。『九段の母』
2 空をつくよな 大鳥居
こんな立派な おやしろに
神とまつられ もったいなさよ
母は泣けます うれしさに
さてさて、それぞれの感性で色々感じ方はあると思います。
因みに僕は、これ、皮肉だと思うんですよ。いくらなんでもここまでねえ、って感じで。
戦後60年以上たった今でもやってますよねえ。
日本人のなかにも、靖国神社に参拝するのがけしからんという、僕に言わせれば訳の解らないことをいう人たちがいます。
この人たちは、くだん(←掛詞)の歌詞をどう感じるのでしょうか?
皮肉と感じなくてもいい、ただ世の中には「皮肉である」と感じている人間もいる、ということだけは意識において欲しいものです。
と、この言い回し、
↓
あついあつい秋の季語
を巧みに丸写ししました。
………
………
わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!
いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて~!!
(;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!
おやおや、案外マトモに終戦忌回想してる…
んで、『目指せ!! 平成の女蜀山人!』の元記事です。
あついあつい秋の季語2005年08月15日堪ふること いまは暑さのみや 終戦日 (及川貞)
ということでやってまいりました。60回目、節目の年の終戦記念日ですね。
正直宮城前に土下座した人たちの心情はおよそ理解できない私ですが、この句意レベルなら実感として理解できます。
で、何か話をしなければいけないのですが。迷いました。
最初は、花森安次「暮らしの手帖」 保存版で読んだ記事を持ってくるつもりだったんです。
でもまた、お前は右なのか?左なのか?書いてあることが矛盾だらけでよくわからん
と、こられても面倒ですので。
ここは歌評の頁らしく、歌でも聴いてみましょう。九段の母さてさて、それぞれの感性で色々感じ方はあったと思います。
因みに私は、これ、皮肉だと思うんですよ。いくらなんでもここまでねえ、って感じで。
ここで再び、今年もまたやってまいりました。
靖国神社に参拝するのがけしからんという、私に言わせれば訳の解らないことをいう人たちがいます。
この人たちは、くだん(←掛詞)の歌詞をどう感じるのでしょうか?
皮肉と感じなくてもいい、ただ世の中には「皮肉である」と感じている人間もいる、ということだけは意識において欲しいものです。
おやおや、出だしの句を間違えてやんの。
その埋め合わせって訳でもないですが、原文になかったお千代さん版九段の母の動画を挿入しておきました。
戦後60年、と。
あの日からちょうど20年…
80年の四半分、あはっ!