不揃いの美学、花札 (マゾヒズムに花札を!より)  ~ 『また通い婚の話ができるなあ』 ~ 今日は七夕でしたわ。天の川を渡るのは織姫・彦星、さてどっち?

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本日2発目の記事。
そうなんですよ、今日は五節句の一・七夕、ついでにいうなら二十四節気の一・小暑ではないですか。1発目の記事で全く触れずじまいでしたので、思い出して投稿といった次第です。
記事に入る前に、先ずはー、

禁忌のプライベート情報です。
齋藤杏花(さいとうあんな)中の人の長子がお誕生日を迎えた訳なんですがね。
クリックして下さった奇特な方、もう幾つか判っちまいましたよね。
つーことは…

端午の節句の記事と矛盾しますっしょ?
計画的犯行です。身バレ帽子の為、本BLOG、時々は虚偽情報を混ぜるのです。
でも、損な性分でウソ吐けない、そんでもって、このようにさりげなく目立たぬように、訂正を入れて回ってるのです。

さて、行きましょう。
『マゾヒズムに花札を!』にも随分七夕ネタはありますね。
ここは、一番それクサいのをパクリ返し復刻します。

不揃いの美学、花札

2006年07月07日 20時25分56秒 | 萩 - 7月

文月1b856414.jpg
この月の話題に相応しいかは不明ですが、7/7は五節句の一つ七夕ですね。
残念ながら、花札にはその痕跡もありません。
強いて言うならば、前に話した隠しテーマ・風が微かに掠る程度でしょうか?

日月星辰というくらいですから、星祭が入っていてもいいんですがねえ。
ここらもやはり花札と言うものが、室町に宣教師の持ち込んだトランプの代用品として古来よりあった『花鳥あわせ』をベースに試行錯誤的に作られていたものであるがためでしょう。
花札と言うのは本当に不揃いなカルタです。
そこらがまた楽しいところなんですけど。

さて、七夕。
花札にはいってないというものの、日本でもかなり昔から行われていたイベントのようですよ。
万葉集にも出てきます。

天地の 初めの時ゆ 天漢(あまのかわ) い向ひ居りて 一年に 二度会はぬ 妻恋に もの思う人 天漢 安の川原の あり通ふ 出での渡に そほ船の艫にも 舳(へ)にも 船(ふな)装ひ 真楫繁貫(まかりしじぬ)き はたすすき 本葉(もとは)もよそに 秋風の 吹き来る 宵に 天の川白波しのぎ 落ち激(たぎ)つ 早瀬渡りて 若草の 妻が手枕くと 大船の 思ひ頼みて 漕ぎ来らむ その夫(つま)の子が あらたまの 年の緒長く思い来し 恋を尽さむ 七月(ふみづき)の 七日(なぬか)の宵は われも悲しも

反 歌

高麗錦(こまにしき)紐解き交(かわ)し 天人(あめひと)の妻問ふ宵ぞ われも偲はむ 彦星の川瀬を渡るさ小船(おふね)のえ行きて泊てむ川津し思ほゆ

中国の七夕伝説では、七月七日の夜、牽牛と織女とを逢わせるために、鵲が翼を並べて天の川に橋を架け、それを織女が車で渡って牽牛のもとに赴くという話になっています。ところが『万葉集』の七夕歌では、天の川を渡るのは大部分が織女ではなく牽牛であり、織女が牽牛のもとに赴くとするのは、七夕歌130余首のうちのわずか2首に過ぎません。これは、当時のわが国の妻問い婚の風習に合わせて中国の伝説を改変したからであると考えられます。また、『万葉集』には鵲も一切登場しません。牽牛が織女のもとに赴く歌の場合は、牽牛は多くは船を用い、時には徒歩で天の川を渡っています。ただし、『懐風藻』には、織女が鵲の橋を渡ることがよまれていて、『万葉集』とは顕著な対称を見せています。これは『懐風藻』が漢詩の影響を強く受けていることに由来すると考えられます。和文脈の作品に鵲の橋が登場するのは『拾遺集』あたりからです。

と、どこぞからコピペして、そして、

七夕まつりと言えば、平塚のものが有名、本日の各稿を書く上で同市のHPを大いに参考にしたことを申し上げておきましょう。
それによりますと、「懐風藻」 の七夕詩には「仙車鵲の橋を渡り、神駕清き流れを越ゆ」とある、と記されています。

「懐風藻」。日本最古の漢詩集ですね。
万葉集(759)よりも成立が早い(751)のは意外です。

と、この言い回し、



また通い婚の話ができるなあ

を丸写ししました。
だって元々が殆どコピペ…

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて~!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!


えっと、『目指せ!! 平成の女蜀山人!』の元稿ですね。
覚えがあるぞ、あの年あの折の七夕、ちょうど20年前には可也熱上げて、記事書いたもんでしたわ。
そして、その縁あってか後年…

おっと、身バレは中の人にもその子ども達にも百害あって一利なし、だ。
自重しましょう。

また通い婚の話ができるなあ

2005年07月07日


天地の 初めの時ゆ 天漢(あまのかわ) い向ひ居りて 一年に 二度会はぬ 妻恋に もの思う人 天漢 安の川原の あり通ふ 出での渡に そほ船の 艫にも 舳(へ)にも 船(ふな)装ひ 真楫繁貫(まかりしじぬ)き はたすすき 本葉(もとは)もよそに 秋風の 吹き来る 宵に 天の川 白波しのぎ 落ち激(たぎ)つ 早瀬渡りて 若草の 妻が手枕くと 大船の 思ひ頼みて 漕ぎ来らむ その夫(つま)の子が あらたまの 年の緒長く 思い来し 恋を尽さむ 七月(ふみづき)の 七日(なぬか)の宵は われも悲しも

反 歌

高麗錦(こまにしき)紐解き交(かわ)し 天人(あめひと)の妻問ふ宵ぞ われも偲はむ 彦星の川瀬を渡るさ小船(おふね)のえ行きて泊てむ川津し思ほゆ

さて、残るカテゴリはここのみですか。
何をもって来ようかと思いましたが、巻十-二〇八九~二〇九一、作者不詳の歌を持ってきました。

中国の七夕伝説では、七月七日の夜、牽牛と織女とを逢わせるために、鵲が翼を並べて天の川に橋を架け、それを織女が車で渡って牽牛のもとに赴くという話になっています。ところが『万葉集』の七夕歌では、天の川を渡るのは大部分が織女ではなく牽牛であり、織女が牽牛のもとに赴くとするのは、七夕歌130余首のうちのわずか2首に過ぎません。これは、当時のわが国の妻問い婚の風習に合わせて中国の伝説を改変したからであると考えられます。また、『万葉集』には鵲も一切登場しません。牽牛が織女のもとに赴く歌の場合は、牽牛は多くは船を用い、時には徒歩で天の川を渡っています。ただし、『懐風藻』には、織女が鵲の橋を渡ることがよまれていて、『万葉集』とは顕著な対称を見せています。これは『懐風藻』が漢詩の影響を強く受けていることに由来すると考えられます。和文脈の作品に鵲の橋が登場するのは『拾遺集』あたりからです。

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と、どこぞからコピペして、そして、

七夕まつりと言えば、平塚のものが有名、本日の各稿を書く上で同市のHPを大いに参考にしたことを申し上げておきましょう。
それによりますと、「懐風藻」 の七夕詩には「仙車鵲の橋を渡り、神駕清き流れを越ゆ」とある、と記されています。

「懐風藻」。日本最古の漢詩集ですね。
万葉集(759)よりも成立が早い(751)のは意外です。


妻問い婚かあ。
そういや、夫婦別姓問題を喧しくやってる連中の、いずれの口からも、この言葉は聞きませんねえ。
鵲(=かささぎ)ねえ。

かささぎの わたせる橋に おく霜の 白きを見れば 夜ぞふけにける


小倉山百人一首に、大伴家持作として登場するのは、意外にも意外、こんな馴染みない歌なのでした。

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