完全数 (マゾヒズムに花札を!より) ~ 『自然科学もいいわぁ』 ~ "理数系"などという世にも摩訶不思議なカテゴライズ
完全数 マゾヒズムに花札を! 自然科学もいいわぁ "理数系"などという世にも摩訶不思議なカテゴライズ 架空の天文現象 駄バラ3きょうだい 牡丹 - 6月 6は一番初めの完全数 ゼロから無限へ 目指せ!! 平成の女蜀山人! 百敷や ふるき軒端の 忍ぶにも 猶あまりある むかしなりけり 順徳院 続後撰和歌集 ピタゴラス数 何で数論やるために、カエルの解剖なんてのにつき合わされなければならないの? 学歴の暴力 学際的研究 齋藤杏花 (さいとうあんな) 齋藤杏花

えーっと。
明日から梅雨空が戻るって話ですけど、ホントかなあ?
おらっとこ、このとこ雨なんてのは架空の天文現象かと思わせるようなお天気が続いてましてねえ。
植物は正直なもので、ひとつも花なんかつけやしない。
殊に駄バラ3きょうだいのバテぶりが酷い、またちびっ子の黄色が枯れち…まったか、なあ?
花どころか葉っぱも全部落っこっちまいました。
調べてみたら…
四季咲きのバラは気温が30℃超えたら、このようになる事が多々あるってんですけど、戻る筈の10月までは気がもめることです。
おっと、のっけから脱線しました。
暫くは記事アイコンの冒頭画像の云い訳をしようと思った訳です。
当分は、花は使えそうもありません。
さて記事は、ってこっちも少々手詰まりでしてね。
こういう時は、『マゾヒズムに花札を!』のパクリ返し復元に限りますね。
こちらも花から離れたものを行きましょう。
完全数2006年06月06日 06時06分06秒 | 牡丹 - 6月
昔見た時代劇のひとこまから。
抜け荷の探索をしていた我らがお奉行様は、ひとつの守り袋を手に入れます。
空けてみると花札が3枚。桜の20点札、牡丹の10点札、菊の10点札。
しばし考えてお奉行様、「判った。3、6、9で、ミロク、取引は本所の弥勒寺だ!」
僕はこれをみたとき、飛躍しすぎだと感じていたのですが、このブログを始めるようになった今は頷けるようになりました。
投稿日付に拘らず前に何度か話してるように、花札とは鎖国政策により禁制品になってしまったトランプの模造品だったのです。
だから、表だって数字は書けない、各月のテーマ植物の月で数字を読む、遊び人であるこのお奉行様はそこらの博徒のこころを知っていたというわけですね。
それにもうひとつは、3、6、9の法則性です。
いうまでもなく、3の倍数なんですけど、特に牡丹の6(月)に(本稿を)持ってきた理由を言いましょう。
6の約数はといえば?
2と3ですね。あと当然1と6自身も。
1+2+3=6
ね? 代数ではこれを完全数と呼びます。
そう。6は一番初めの完全数なのです。
6は完全数。神は六日間で世界を創り一日休んだ。よって一週間は七日…
こうした「数の研究」も面白いものです。
で、書籍の紹介。
ゼロから無限へ コンスタンス・レイド 著/芹沢正三 訳。
講談社ブルーバックスにあります。
この著者のレイドさんて人は平凡な家庭の主婦なんですよ。
学問なんてどこででも、そして金をかけずにやることができる、これが再認識でき、そういった意味でも良書です。
と、この言い回し、
↓
自然科学もいいわぁ
を丸写ししました。
………
………
わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!
いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて~!!
(;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!
黙って先に『目指せ!! 平成の女蜀山人!』の元稿を出してしまいましょう。
これです。
自然科学もいいわぁ2005年09月06日百敷や ふるき軒端の 忍ぶにも 猶あまりある むかしなりけり
百人一首のオーラスは順徳院、続後撰和歌集<雑下・一二○二>収録の歌です。
《語注》 ▽百敷=枕詞「ももしきの」から転じて、宮中の意。▽しのぶ=「忍ぶ草」と「偲(シノ)ぶ」との掛詞。▽昔=聖代と仰がれた、醍醐(ダイゴ)・村上天皇の治世をさす。
ってことで、百番目に百で始まる歌でした。
えーっと、これも言いましたっけか?
ロクロク三十六足すハッパ六十四で百、二つの平方数の和で百がかけるんですよねえ。
いや、これ自体はピタゴラス数ってことで珍しくもなんともないんですが、単位でもある百がこれに該当するのが面白くて。
百という数は、それだけにとどまりません。
完全・全部という意味あいがありますよねえ。
試験の百点満点、パーセントの概念、枕詞の「百伝ふ」、世の東西を問わずですか。
こうした「数の研究」も面白いものです。
で、また書籍の紹介。
ゼロから無限へ コンスタンス・レイド 著/芹沢正三 訳。
同じく講談社ブルーバックスにあります。
この著者のレイドさんて人は平凡な家庭の主婦なんですよ。
学問なんてどこででも、そして金をかけずにやることができる、これが再認識でき、そういった意味でも良書です。
以上、昨日あたりから書籍紹介に凝りだした ミユ の投稿でした。
そうでした、2005年9月はサイト閉鎖の月、そろそろ終焉って頃の記事です。
まあ、中の人である私メ、「あはっ!」のミユも色々ありましてね。
その一つの理由が、高三の2学期になった事、そうです、いくら拗ねててみても少しは進路考えねばならぬ時期でしたものねえ。
正直、まだ明確には進学する積りもなかったんですよ。
何度も云って嫌味ですが、私の偏差値で進学しないなんて云っても世間は本気にしませんもの、そこへの反発もあっていよいよ依怙地になりだしてた事もありましてね。
例えばサイト読者の人が、もしも許される立場であるのなら国文に進学しライフワークに結び付けなさい、なんて助言をくれるなんてのもありましてね。
学問やるなら、個人的事情をいうなら最も拙い手、今までどおり実父の秘書めいたことをして手許の書で独学するにしくはなし…
おっと、ここは自然科学の話でした。
前にチラリ大学不要論捲し立てた折に云った事の再掲です。
嫌味ばかり繰り返して恐縮ですが、『東大の数学受かる』…
私とても、嫌いじゃなかったんですよ、ホント、数論やる学生生活ってのも。
けどね、だとしたら受験には理科が喰っ付いてくるんですよ。
理科系学部といい、理数系という、おかしいよねえ?!
何で数論やるために、カエルの解剖なんてのにつき合わされなければならないの?
いざこさになった自称国大アイドル・学歴の暴力ってのと正反対、
私は数学は好きですが、理科なんてのは大っ嫌いですから。
そもそも理系の文系ののカテゴライズが、いつまでたっても餓鬼の偏差値ごっこから抜け出られない証拠なんです。
学際的研究という言葉が使われだして半世紀余、むしろ現況は退化といえるでしょう。
