既に過ぎ去ってしまった端午の節句。菖蒲の話を書いたなら将に六菖十菊ですが、橘の節句ってことでどうだ?ならまだ書けそうですよ

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えーっと、先ずは花は花でも全く関係ないとこから。
ああ、そうですよ。
今日は5月第二日曜日、カーネーションの花が行ったり来たりで大寄りになる日でしたわ。
まあ別居ならいざ知らず、こうして同じ屋根の下に来るしてるだから、やったりとったりは無駄だからやめね、
って口では言ってるものの、結局はやっちまうんですよねえ。
同じ屋根でも、幽冥境を異にしてる者を除いて…

(私の)ばぁばですわ。
没後5年間はなんとか、白カーネーションの生花を見つけてきて供えてたんですが、それ以降は造花の使いまわし。
1日限りのサプライズ仏花にしよう、ってことで冒頭画像から入れ物をとったようなのを限定で供えてたんですが。
しかるにしかるに。
今年の場合はお馴染み誰かさんが曜日を勘違いして一日前の昨日から供えてしまいましてね。
なんか間の抜けた母の日になってしまいました。

んで噺、日曜恒例の万葉噺です。
タイトルに記しましたよう、そうなんだ。
まあ橘の節句という言葉があるかは不明ですが、5月5日に橘は付き物ですわ。
そうそう、今年は中毒になる程は歌わされなかった、甍の波、
あん中にも、橘香る朝風に♪って歌詞が有りますし。
橘は意外にタイムリーかもしれません。

つーこで先ずは過去稿と重複にはなりますが、巻八・夏の相聞から。

暇無み 五月をすらに 吾妹子が 花橘を 見ずか過ぎさむ


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1504は高安…
違う!相撲じゃない!
後に大原真人を賜った官吏です。
見ない事があろうか?と反語法の手法で、絶対に見にいくぞの気持ちをより鮮明に歌ってる訳です。

で何を?くだらない質問ですね、ここで花橘なんですよ。
橘のみかんの総称、ここでは実でなくて花の方です。花橘を球に貫く、という表現もあり。
後の平安時代、端午の節句に無病息災を祈って飾られたという薬玉を連想させることから、ここの五月は五月の節句の意味でしょう。
節句働きをしてても、ワギモコ20250224_202407_p_o_45279129.jpg↑の花橘だけは絶対に見に行くぞ、
だ~か~ら~
その高安じゃないって。
次行きましょう。

同じ巻八の少し前、夏の雑歌の章の1478に家持の歌があります。

我が屋前の 花橘の 何時しかも 球に貫くべく その實なりなむ


ね?上でお話しした、花橘を球に貫く、って表現がここにあったっしょ?
もう一首みますか。
少し後ろの1481に、家持の弟・大伴書持の歌があります。

我が屋前の 花橘に 霍公鳥 今こそ鳴かめ 友に逢へる時


あれあれあれ?
またホトトギスかいな。
ん?花橘がお友達?
ウツギの花がお友達なんでなかったのかしら?
博愛主義者ってか、浮気者ってか。

つーことで、暫くはまた、ホトトギスの歌が続く…かもしれません。

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