さあ今日は文句なしの平日ですよ! 大型連休云々の寝言には耳も貸さずフツーの記事を投稿しますよ!!!!! ついでに江川某の朝日寄稿にも耳を貸す気がない旨、お知らせします

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話は昨日の続きから入りましょう。

句か歌かの言葉の問題は、この際いい、問題は件の役者が言ってるのが蜀山人のどの歌かなんです。
いえね、ネットをざっと覗くに、俺が死ぬとは~ばかりが(辞世として)出てくるもんで。
うーん、先に『目指せ!! 平成の女蜀山人!』に挙げた記事をお読み頂いたほうが、話が伝わりやすいでしょう。

蜀山人終焉の地

2005年04月29日


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先ほど現地を見てきました。
写真、道路を挟んで反対側の木がうっそうとしたところです。
現在は企業の私有地になってしまってるので碑までは確認できませんでしたけど、看板は読めました。
歌が若干差異がありましたで記します。


  生過ぎて 七十五年 食ひつぶし 限りしられぬ 天地の恩


いづれにせよ蜀山人はこの地で晩年十余年を過ごし、1823年に没したわけです。


 今までは 他人(ひと)が死ぬとは 思ひしが 俺が死ぬとは こいつぁたまらん

 冥途から もしも迎いが 来たならば 九十九まで 留守と断れ


ここらは、いかにもらしい『辞世』。

初体験のサイト著者管理人をやりだした頃で、デブしょーが流儀に反し江戸川の西まで取材に出かけてたんですよねえ。
昨日申し上げたとおりです。
で、問題の私企業所有の終焉の地なのです。
実は、私、何食わぬ顔で中に入り込んでたんですわ、怒られたらJK特権で「御免なさい!」ってベソ掻いたらいいと思ってね。
碑は立ってた、恐らくは 生過ぎて~の歌が刻まれてたのでありましょう。
けど、距離があったんではっきり確認はできませんでした。

そして外に出て淡路坂下ったとこで道路際に立ってる看板↓
蜀山人終焉の地・岩﨑彌之助邸跡.jpg
↑を見つけた…んだったと思いますわ。
正直記憶が定かではないもんで。
加えてマズいことに、件の私有地、どうやら今は所有が変わって入り込むことができなくなってるみたいで、私が見た"生過ぎて~の碑"はWEBのどこにも確認できませんでした。
けど、碑が立ってたのは事実です、当時は日立かなんかの所有だったと記憶するのですが、駿河台の公園に近いような閑静な場所で、それ故にまんまと入り込むことができたのですから。

おっと、長くなりました。
蜀山人の辞世が真面目なものであった事を言いたいが為に、引き摺りました。

だからね。
辞世までふざけたものにしたがるのは、ネット雀の願望なんですよ。
十返舎一九の「この世をばどりゃお暇に線香の煙とともに灰さようなら」あたりと並べたいが為の。
私はね。
恐らく蜀山人の"今までは~"はどっかの歌会で"冥途から"2つ続けて作ったもんだと思うんですよ。
何故なら、蜀山人こと大田直次郎という人はその実、当時とすれば異例の高齢まで生涯現役を貫き通した、非常に生真面目な人なんです。
その最期が"今までは~""冥途から"とは考え難いというのが、私の見立てです。
ま、ま、全ては齋藤杏花 (さいとうあんな)中の人の、独断的偏見であるとお含みの上、お読みいただけたら幸いです。

ただまあ…
って、ここでまた、否定の接続詞が入るのですわ、えー。
ネット情報ってのは、アクセス集める必要上からどうしても、奇をてらうような少数説ばかりが広まってしまう帰来があるのは確かですよねえ。
前にも言ったかな?『お釈迦』の語源。あんなのがいい例です。
それがね、この程度の純然たる学術ならば、まだ罪がないのですよ。
これが、外伝のニュースねたとなれば…

今現在もなんか聞こえてきますわ。
ウクライナの記者が惨殺体となって発見されたっての。
私ね、かの益野友利香の時を思い出しました。
あれも外伝で誰も確認できないのをいいことに、無責任な噂話が事実のように広まってしまいましたよねえ、
って否定する?そう、それ位実しやかに広まってしまったのです。

そうそう、そういえば、
って接続詞で話はまた飛びます。
江川紹子が朝日に寄稿したって金取る記事。
あん?『SNSで危ないのは、むしろ中高年』?
なにを今更!
んなん、私がティーンの頃言ってたことですよ。
えっとこっちに残ってるのは20の日付ですが、これは回想です。
えっ?違う?それはザブタイで主文は『正論のような顔して流れ出す陰謀論』と。
もっと、くだらない。
広く一般的に、流れる情報の真偽は誰がどうやって定めるのでしょうか?
はいはい、都合の悪いものはすべて陰謀論のレッテルを貼り「放置はまずい」と仰る、

情報の信憑性はメディアの種類で決まるものでないって事は、繰り返し訴え続けてることです。

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