W水晶婚記念投稿 ~ 夫婦別姓などという戯言が未だに論じられてるのは、どうかと思うばかり

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上々のお出かけ日和となったおらほう、デブしょーの齋藤杏花 (さいとうあんな)は、そんな世間の喧騒などどこ吹く風と、ひたすら自BLOGをやっております。
つーことで、何と、本日3発目の記事をお届けしましょう。

過日申し上げましたとおり、私儀、中の人、これで以って結婚15年を経過したんですよねえ。
更にその前に、かなり危ないプライベート暴露として、上の兄と同時に結婚式をやったって噺はしました。
この二つを組み合わせて考えてみてくださいな…
って勿体つける必要もないか、タイトルで既に申し上げてましたもんねえ。
そして、言いたい事も極めてシンプル、若輩者と侮る勿れ、これでも案外長く結婚生活してるんだから、ってことなんです。
それを枕に、以下、未だに喧々諤々やってる夫婦別姓云々をばっさり斬る事と致しましょう。

繰り返してるとおり、ホント、「バカらしいですよ、こんなの!」の一言ですよ。
どこをどう推しても、こんなラチもない事に貴重な時間と労力を裂く理由が見つかりません。
長い事続いてきた我国の社会制度を覆すだけの理由が、どうにありましょうや。
私は端から「なら支那かチョーセンに移住すれば」と茶化して来ましたが、冒頭掲げた画像を見る限り、どうやらチャラけてばかりではいられなそうな状況で。
何度かやってきたような遠回しな言い方でなく、本稿はずばり核心を付くやり方で纏めることとしましょう。

核心から言ってしまいましょう。
世の夫婦別姓問題の捉え方は専ら、伝統 vs. 現代 ですが、それ自体が推進派の捻じ曲げと言えます。
何故なら反対論者のすべてが、氏の家系のと言ってるむわけではないから、少なくとも齋藤杏花(さいとうあんな)は微塵も考えてません。
単に「夫婦と未婚の子は同じ姓でなければ話にならない。同じ姓を名乗らずして何の夫婦?何の結婚?何の親子」と言ってるだけで、家の存続などというものは頭の隅にもありませんので。
そもそも、そんなご立派な血統ではありませんので、はい。
ですので、夫婦別姓だけでなく旧姓使用の法制化なんてのにも反対です。
いや、選択的夫婦別姓よりも旧姓使用の方が余計タチが悪いとさえ思ってます。

ここで、アンタら結婚をなんだと思ってるのか?!なんです。
私は、これを期に昨日までの自分とは全く違う人間に生まれ変わるものだ、と思ってますよ。
ですから、むしろ苗字が変わることは歓迎、積極的意見として一言口を開くなら、民法を改正するなら『両性いずれかの姓』を『両性合議で定めた姓』にすべきとの意見です。
ねえ?どっちかの姓なんていうから、貰ったの貰われたのの感覚が生まれ、要らざる揉め事を惹起することになるのだから。
そうですよ、今までなかった新しい家を作るのが結婚に他なりません。
幸いね、我が家…って、今暮らしてる実家の方なんですが (お義父さんお義母さん、御免なさい!) 古くから代々こんな考え方なもんで、苗字の違う2家庭が同じ屋根の下に同居するに、支障はないのですが。

んで。

先ほど言った 伝統 vs. 現代 の誤りです。
今まで述べてきた理由でむしろ私は、別姓推進論者の方がトラディショナルな思考回路に思えるのですよねえ。
貰ったの貰われたのって意識が前提にあるからこそ、搾取の観念が登場するわけで、延々と階級闘争続ける訳で。
これが、読売新聞夕刊コラム担当の筆に掛かると…

『旧弊に囚われている』という表現になるみたいです、あはっ!

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