紫は古来より、高貴な色とされてきてたんでしたよね。今日も、その高貴な紫花のお噺です

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紫は高貴な色
今現在の我が庭の、その高貴な色というなら、何てったってこれ、ハナズオウです。
今年は息が長いわ、そう、咲き始めの頃に急に暖かくなっていっぺんに花開いたかと思ったら、一転して真冬の寒さ…
そのせいで長持ちで、依然散る気配をみせません。
ちょうど東京のサクラと同じで、花を愛でるにはラッキーな陽気だったといえましょう。
さあ、こうしてるうちに、晩生のシランまでが芽生えて来ました。

さて、今日の万葉噺は、先週に引き続き、高貴な紫のフジの歌です。
流石、日本原産とあって、結構歌数がありますわ。
先ず最初は、巻十、春の相聞・花に寄す からです。

藤波の 咲ける春野に 延ふ葛の 下よし戀ひば 久しくもあらむ


1901は作者不詳。
WEBに出回ってるものとの違いをご説明しましょう。
つまり、WEBの多くは『咲きける』となってのところを、岩波の萬葉集に拠りました。
原文は"咲春野"で動詞『咲く』の連用形で『佐記の春野』は誤りと記されます。
前後しましたが、藤波はフジの花房が波のような感じなのをいう、一般名詞です。
ま、ここらは序で、肝心なのはその先、もどかしい気持ちに悶々としてる自分の心情にある事は、いうに及ばないでしょう。

次に、巻十二、物に寄せて思を陳ぶ から拾いましょう。
3075もやはり、作者不詳です。

斯くしてぞ 人は死ぬといふ 藤波の ただ一目のみ 見し人ゆゑに


o1000066715110505393.jpgいやはや情熱的…
いかにも万葉調ってとこですね。
そうそう、死ぬの生きるのってのが恋ですからね、
恋愛下手になってしまった現代人は、すっかり忘れてしまいましたが。
と、この歌。
どっかで似たようなのがありましたね。
そうそう、人妻ゆゑに、紫が出てきたとこで決まりですわ。

もう一首見ましょうか。
巻十四東歌・相聞歌の部に、こんなのがありました。

春へ咲く 藤の末葉の うら安に さ寝る夜ぞなき 子ろをし思へば


3504もまた作者不詳です。
似たような感じといとば似たようなんですが、今度は同じフジでも花房ではなく末葉、葉っぱの先っぽの方に視点が行ってます。
とは言っても省略の美学で、その末葉にぶら下がるフジの花の事をいってるのですが。
そしてその"うら"のように"うら安くと続ける、典型的な序のつかいかたをしてます。
『子ろ』は、 こら 、『にのほさる』~の歌にもあった東国訛ですよね。
同じように、民謡みたいなもんだったってことが、推察できます。

さて、こうしてひ見て来ると、やはり日本固有種とあって、やっぱフジの歌は多い事、
それだけでなく、「ああフジが綺麗だなあ!」の類ではない事を知らされます。

つまりは生活の一部として、万葉人に溶け込んでた植物だということになりましょう、これが結論です。

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