考えてみれば今まで、本・齋藤杏花 (さいとうあんな) の BLOG、京成電車の事は本格的に書いてませんでしたよね?よし!新京成吸収の今、書くとしましょうか

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このとこ、よー降りますねえ!
冬のうちは、さっぱり降らなかった分を取り戻してるかのような、おらほうのお天気模様です。
庭の植物のすっかりリズムが狂い、ほれ、このとおり。
時間差で花を付けるハナズオウが、今期はいっぺんに花を付けちまいました。
ま、ヤマブキはいつもどおりちらほらなんですが。
ん?ピンボケ?
そうなんですよ、建物が入ってるから位置特定されて、身バレになったらやばいので、あえてピンボケを持ってきました。
只でさえ、身バレに繫がりかねない様な記事…
おっと、順に行きましょう。

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少し出遅れました。
新年度で新京成がなくなっちまったんでしたよね。
京成の松戸線になった、と。
中の人の身の回りに関することですので、こうして遅ればせながらも記事にする訳です。
この旧新京成線、現京成松戸線は基本的には、日本軍の演習場補給路を旅客化したものですので、矢鱈クネクネ、鎌ヶ谷通って大回りするので、二つの幹線・総武&常磐を結ぶのに1時間掛かるのです。
後になって武蔵野線が直線15分で結んで驚かせされることになるのですが、それでも沿線開発で地道には走って参りました。
そうだよ、オウム真理教船橋サティアン。
松本智津夫の表札の掛かった、アー姐さんたちのきょうだいが生まれ育った民家もこの沿線にあるのです。
往時中の人も、上の兄に連れられて訪ねました。

齋藤杏花(さいとうあんな)中の人んちの最寄り駅が、京成稲毛なんです。
うん、総武線も5分くらいで行けますが、京成の方が遥かに近いもので。
日中の上りが1本おきに、京成津田沼行きと直通松戸行きなんです。
私が乗った1995年もこうだったかは覚えてませんが、新京成時代からこの構成で変ってはいません。
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そして、京成稲毛からの下り線なんですよ、これは大いに乗る路線ですわ。
こっちがね、京成千葉…じゃなにいよ!千葉中央行きと千原線直通ちはら台行きが交互に。
京成千原線ってのも同じです。元々の千葉急行を京成が吸収したものです。
そうだ、そうだ、どうもいけない。
私が生まれた時には既に千葉中央だったのに、古い者と同居してるせいで連中につられ、京成千葉、京成千葉、って。
それだけ我が家には馴染みのある路線という事です。
下り、千葉方面行く時は京成、上り、東京方面に行く時は総武快速線と使い分けてる我が家です。

さて、次に京成と統合されそうな路線は?
何故か誰も一度も乗ったことのない東葉高速鉄道ってのはどうでしょうねえ?
これも歴史辿れば面白いものがありますよ。
そもそもが地下鉄東西線なんです。
思い切ってなんにもないとこを通し西船橋まで延伸したのは訳がありました。
そのまままっすぐ、営団船橋、営団津田沼と延伸し、京成の八千代台まで進める腹積もりだったんですよ。
それに猛反対したのが京成です。
そもそも京成電鉄ってのは千葉から小岩まで(元)国鉄と並行して走ってるって関東には珍しい私鉄で、収益の上がりにくい体質だったんですよ。
その唯一の稼ぎとこである、船橋⇔八千代がなくなっちまったら、経営の根幹に関りますもの。
ですので、その後京成が作るって話にもなり時間を経て、大回りする経路で第三セクターでできたのが、東葉高速なんですよ。
下り線の千葉急行の事情と似てますね。なんて東葉高速の経営事情などまったく調べずの発言ですが。

さてさて、まったくのお馴染みの京成さん、今後如何あいなりますことやら?
いつのまにか本社も押上から八幡に移転しており、名実ともの千葉県企業です。

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