さあ今日は新暦でも旧暦でも3月になる唯一の日曜日です。なら、噺のネタは、これっきゃないっスね
万葉集 万葉のこころ 万葉の人々 犬養孝 ドカベン 目指せ!! 平成の女蜀山人! 由縁ある雑歌 歌物語 昔者娘子ありき。字を桜児と曰ふ。時に二の壮士あり。共にこの娘を誂ふ。生を揖てて挌競ひ、死を貪りて相敵む。 ここに娘子歔欷きて曰はく「古より今に至るまで、聞かず、見ず、一の女の身にして、二つの門に往適くといふことを。 方今、壮士の意和平び難きものあり。妾が死りて、相害ふこと永く息まむには如かじ」といふ。すなはち林の中に尋ね入りて、樹に懸りて経き死にき。 その両の壮士哀慟に敢へずして、血の泣襟に漣る。各々心緒を陳べて作れる歌二首 春さらば 插頭にせむと 我が思ひし 櫻の花は 散りにけるかも 妹が名に 懸けたる櫻 花咲かば 常にや戀ひむ いや毎年に 櫻兒 齋藤杏花facebook 齋藤杏花 日本書紀の歌謡にも見られる記述法 自死の前に両方ふるという選択肢はないものか 齋藤杏花(さいとうあんな)

どうも天候が安定しないのが春の特徴です。
そういえば漫画の『ドカベン』にもあったなあ。
何年生かの春センバツの際に、真夏日になった翌日に小雪の舞い散る中でゲームやったっての。
逆だったかな?兎も角今のおらほうと同じような状態です。
んで、今日の万葉噺はというば、タイトルに示した如くの理由で、巻十六から櫻兒を取り上げることとします。
そうなんだなあ。『目指せ!! 平成の女蜀山人!』で一度話題にしただけで、その後こってりわーすれちまって。
云ってみれば逆輸入といったとこでしょう、参ります。
巻十六には、由縁ある雑歌 という一部立があります。
後世の歌物語風の長い詞書のついた歌がまとめて並んでる、その一等最初が、この3786-3787になります。
昔者娘子ありき。字を桜児と曰ふ。時に二の壮士あり。共にこの娘を誂ふ。生を揖てて挌競ひ、死を貪りて相敵む。
ここに娘子歔欷きて曰はく「古より今に至るまで、聞かず、見ず、一の女の身にして、二つの門に往適くといふことを。
方今、壮士の意和平び難きものあり。妾が死りて、相害ふこと永く息まむには如かじ」といふ。すなはち林の中に尋ね入りて、樹に懸りて経き死にき。
その両の壮士哀慟に敢へずして、血の泣襟に漣る。各々心緒を陳べて作れる歌二首
春さらば 插頭にせむと 我が思ひし 櫻の花は 散りにけるかも
妹が名に 懸けたる櫻 花咲かば 常にや戀ひむ いや毎年に
妹が名に 懸けたる櫻 花咲かば 常にや戀ひむ いや毎年に
冒頭の 昔者 の 者 は助字で、読みも意味もありません。
今者との対比で、昔物語は必ず、これで始める、ってことでいいでしょう。
経き死に は首括って死ぬということです。
3786の冒頭、春さらば は、去ればでなく 春になれば の意味です。
插頭が何回かでてきてますが、前週とは違い、男が差す物はとしての用例で、ここでは妻にするの寓意です。
3787。妹が名に懸けたる で桜児がハンドルだったって分りますね。
毎年はマイトシに非ず、トシノハです。他の歌の注から逆にこの字を宛てたものと推測できます。
意味はなんとなく分るように、来る年も来る年も って事です。
でね。
これだけ長い詞書があるというのに作者名の記述なし。
歌の後ろに 其の一、其の二と記されてるだけで。
対象物である女がちゃんと名が記されてるのに、野郎壱野郎弐かい?
と思いきや、日本書紀の歌謡にも見られる記述法なんだそうです。
そうですか、野郎壱野郎弐で沢山だと思うんですがね。
こんな未練なの、両方ともふっちまえばいいんですよ、あはっ!