お花見 (マゾヒズムに花札を!より)  ~ 『ホント、季節感のないこのblog』他の『目指せ!! 平成の女蜀山人!』の記事の組合せで、"季節感のある"パクリ記事を書いてくれたおっさんがいますた

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朝方は結構降ってた昨日ですが、程なく上がり風も収まって非全天候型愛車も使えるようになったもんで、西千葉の西から友が現れた西友まで、日常品買出しに走りました。
その途中、西千葉公園の(稲毛方面からの)入り口から開き始めのサクラがみられましたんで、写真に収めました。
まだまだってとこっスね。
そうそう、週末は真冬並みの寒さがぶり返すとのことですので、お花見って選択はないでしょう。

ならば…

齋藤杏花 (さいとうあんな) の BLOGで、机上のお花見を楽しみませんか?
件の付題がされた、『マゾヒズムに花札を!』記事です。

お花見

2006年03月07日 07時02分26秒 | 桜 - 3月

花見61102c9e.jpg
花札3月は桜。
旧暦表示のあるカレンダーで投稿日付を旧暦日に見つけた日前後のお休みの日、実際にお花見に行かれた方も多いのではないでしょうか?
今日は趣向を変えまして、東京は上野公園の桜散策としゃれこみましょう。

まずはお山の辺りから。

  井戸ばたの 桜あぶなし 酒の酔
  
秋色桜ですねえ。江戸情緒が感じられます。
作者・秋色こと、菓子屋お秋は、この句を詠んだとき、なんとなんと数え年13歳だったとか!
びっくりです。

さてさて坂を下りますれば、同じく江戸のびっくり人間・蜀山人の歌碑が鎮座まします。

  一めんの 花は碁盤の 上野山 黒門前に かかる志ら雲

原文は最後『しら雲』ですが、歌碑を見る限り表記のように見えましたのでそのまま記します。
流石は蜀山人、『一めん』に碁盤面を匂わせ、白と黒とを織り込んでますね。
黒門(町)は今はなくなってしまった地名、所謂アキバの北部あたりのことです。

囲碁も江戸時代に盛んだったボードゲームです。
花札とは少々趣を異にし偶発性に左右されません。純然たるサシ勝負といえますか、だから喧嘩が絶えない。
同系ゲームの代表例は将棋ですよねえ。

ただし、囲碁と将棋では協議者層が異なるといわれてまして。
囲碁は旦那様のやるもの、将棋は○夫馬○のやるもの、というのがちょっと前の常識だったとか。
理由を述べよ、と問われて明確に答えられる人いる?

と、これらの言い回し、



ホント、季節感のないこのblog
上野山の桜と蜀山人の歌
サイトオーナーの方にも読んでいただけてるようで (三度=みたび)


を次々に丸写ししました。

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて~!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!


そうか、昨日のの前編がこれなんスかね。
確認頂くため『目指せ!! 平成の女蜀山人!』の元記事を次々に並べてみましょう。

ホント、季節感のないこのblog

2005年06月14日


  井戸ばたの 桜あぶなし 酒の酔
  
              秋色

秋色桜82df41be.jpg
久々に上野公園の風景から。
秋色こと、菓子屋お秋は、この句を詠んだとき、なんとなんと数え年13歳だったとか!


上野山の桜と蜀山人の歌

(既出に付き略)


サイトオーナーの方にも読んでいただけてるようで (三度=みたび)

2005年07月13日


曹丕a0143f3c.jpg
いやいや、なんと、というよりも、やはり、「某所ノ赤人」さんは、本『目指せ!! 平成の女蜀山人!』のお客様だったようです。
「某所」にその旨のメッセージがありました。
ひとつ二つ訂正させていただけば。

まず、私、野次馬ではありません。
「某所」に書き込み投稿した以上、少なくても流れるまでは見とく必要とその義務がありますからねえ。

そしてもうひとつ。
「詩」ではありませんね。まあ確かに詩歌という言葉もあるように広い意味では、「詩」範疇に入ることになりますけど、あえて「詩」という言葉を使うことはないでしょう。
少なくても、狂歌、歌ですから、「吟ずる」ではなくて「詠ずる」です。
と、これを枕にして「詩」のほうにいきましょう。


燕歌行 曹丕

  秋風蕭瑟天氣涼 草木搖落露爲霜
  群燕辭歸雁南翔 念君客遊思斷腸
  慊慊思歸戀故郷 君何淹留寄他方
  賎妾煢煢守空房 憂來思君不敢忘
  不覺涙下霑衣裝 援琴鳴絃發清商
  短歌微吟不能長 明月皎皎照我牀
  星漢西流夜未央 牽牛織女遥相望
  爾獨何辜限河梁

(訓読文)

 秋風 蕭瑟として 天気涼しく
 草木 揺落して 露 霜と為る
 群燕 辞し帰り 雁 南へ翊び
 君が客遊を念(おも)えば 思い断腸す
 慊慊として帰らんと思い 故郷を恋わん
 君 何ぞ淹留して他方に寄るや
 賤妾 煢煢として 空房を守り
 憂い来りて君を思い 敢て忘れず
 覚えず 涙下って衣裳を霑すを

 琴を援(ひ)き絃を鳴らして清商を発し
 短歌 微吟すれども 長くすること能わず
 明月 皎皎として 我が牀を照らし
 星漢 西に流れて 夜 未だ央らず
 牽牛織女 遥かに相臨む

 爾独り何の辜ありてか河梁に限らる


あの三国志の曹丕、魏の文帝です。
後漢時代の代表詩人であったことは、前にお話しました。

例によって例のごとく逐一は触れません、ってことでお伝えするのは、これ♀視点、ということです。
なんと、これ、戦地に夫を送り出している妻の詩なのです。

このように創作家である曹丕は、非常に多岐独自性の高い創作活動をしていたと伝えられます。
小説なども手がけていたとか。
当時小説といえば、卑近下賎なもの、という分類でした。
そんなものは女子供に任せといて、男子たるものは詩作をすべし! これが当時の常識だったとか。

性差別にしてメディア差別ですね。
そういわれりゃ、例えばですよ。
囲碁は旦那様のやるもの、将棋は○夫馬○のやるもの、というのがちょっと前の常識だったとか。
理由を述べよ、と問われて明確に答えられる人いる? あはっ!


三国志も既出だったか…
なら菓子屋お秋の事を補足しましょう。
秋色庵大坂家…
今でもテーノーミジュク大学傍に存在します。
何で江戸の老舗が大坂屋?なんでこんな場所?
色々謎の多いこの老舗店も、創業の元禄年間は日本橋小網町で構えてたのが、諸事情あって今の場所に移転して来たようですね。
その理由は?
特別区になってからは、こっちに方が儲かりそうだったからと考えての事と推測します。
ん?

港区、 みんな、とく ってね、あはっ!

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