『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』第11回・富本、仁義の馬面… 初回同様攻めてきましたねえ。TVのタブー・差別問題に真っ向斬りこみましたわ。それにつけても、あの江川!
鳥山検校 ボケ 某国営放送 べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜 富本、仁義の馬面 TVのタブー・差別問題 齋藤杏花 (さいとうあんな) タブー破り 弱者保護という名目の元の逆差別で蓄財 裸問題どころでないはずなのに、何故か騒ぎにならない 楼美人合姿鏡 富本 穢多非人 穢多 >(超えられない壁)> 非人 河原乞食 浮かれ人 一番酷い人種差別をするのが被差別人種 ダンボ 江川紹子 知ったかの江川紹子 見た振りレビューの江川紹子
先ずは庭のボケです。
防鳥ネットを被せたのに…
ショック!やっぱ喰われてる、、、
目の前にいるのを確認してしまいました。
そうなんだ、他の鳥撃退ツール買って、生憎の雨で取り付けることが出来ず、ようやっとと付けに行ってみればですよ。
なんか、がっかり、こっちは飛べないもんでハンデが大き過ぎます。
さて、火曜の大河噺、ってことのとこ、今年の大河べらぼうのレビューの日になってますねえ。
先に仰々しいタイトルから噺しちまいましょう。
TVその他のメディアで差別問題に触れると大騒ぎになるから、禁忌とすべきが暗黙の了解…
このタブー破りは既にされてました。
鳥山検校です。
弱者保護という名目の元の逆差別で蓄財した人物と、あからさまに言われてたではないですか?
ずいぶん思い切った…と齋藤杏花 (さいとうあんな)なんかは感じたんですがねえ。
そうですよ、過去に座頭市が盲人差別だと騒ぎになったことがありましたもの。
差別、差別といちゃもんつける連中のやる事っちゃ、ここらが相場、
出なかったのは、美形坊主だから?
おっと、らしからぬミーハー、それも苦しかるまい、ってことで一昨日のを視ての事を詳述しましょう。
吉原の亡八親父衆、一枚岩と思いきや、二派に割れてるよう、
水面下の争いだったのが一昨日で顕在化しました。
ま、当然主人公蔦重は、駿河屋グループの末端構成員ということになります。
幹部構成員で最も下位になるのが恐らくは、『かぼちゃ親父』大文字屋市兵衛、ブービーが紅一点の大黒屋りつってとこでしょうか。
一昨日はこの二人が大活躍でしたね。
二人のお陰で重三郎も『青楼美人合姿鏡』の失敗りの、リカバリ路線に乗ることが出来ました。
『かぼちゃ』の思いつきを現実化すべく、我等が重三、りつの案内で全く造詣のなかった富本との接触を深めます。
その途中でさりげなくりつの口を借りて発せられたのが、当時の役者の地位でした。
つまりは、員数外、否はっきりいって人外の存在・非人に位置づけられてたのです。
ここで少し寄り道で、穢多非人に関して。
一口に穢多非人といいますが、穢多と非人の間には決定的な差異があります。
穢多ってのは人なんですよ、四民の範疇から外れる汚れ仕事やる人、て。
これに対し非人は、呼んで字の如く、人ですらないということなんです。
うーん、河原乞食ね。
中世に於いては、また人ではあった、民人、国民・人民の民とは反対概念となる、浮かれ人と言われてたのです。
それが時代が進むに連れ、人でない地位にまで格下げされてしまいました。
理由はというなら番組で言われてたとおり、民の勤労意欲を殺ぐ存在だからです。
だから彼らは人一倍、他人の目には敏感だったわけですわ。
一方の女郎ね、これって四民のどれになるんでしょうかねえ?
あなたもわたしも買われた命♪
ま、兎も角、籠の鳥云々以前に被差別の鬱積に苛まれていました。

気持ちが分るからこそ、鬱積をぶつけやすい存在…
番組は、その裏、裏の裏の心情でした。
ねえ?縁者にすればほんの座興に、聴衆は涙したのです。
逆に感激するのも無理からぬこと、ええ、TVの前の皆も同じ感銘を受けましたとも!
いつぞや噺しましたよね、ディズニーアニメのダンボと一緒です。
「差別は怪しからん。人倫に反する!」と頭ごなしにアジることなく、「偏見で人を差別するのはつまらないことですよ」と人の持つ最大公約数的心情に訴えかける…
お見事でした。
それにつけても江川!
あ、あのオウム長者の江川紹子です。
80億総白痴化ツールでべらぼうの一行レビュー寄せるはいいものの…
ま、見てください、こうですから。
>漢気だねえ、太夫も恋川も…
はて?
富本、仁義の馬面の回の恋川が如何なる漢気を?
いやあ、もうクダクダ言う必要もないでしょう。
要は、引用文読んだ段階での、見たふりレビューをしてるのですわ。
よくもまあしゃあしゃあと!
これで、皆様。
往時のオウム解説もまったくの知ったかだったって分ったっしょ?あはっ!
