アニメ『火の鳥』では物足りない描かれ方だった宗教戦争を、 万葉集に検証してみる。 (← ぜってー、そんな内容じゃねえわ)

file.jpg
齋藤杏花 (さいとうあんな) の BLOGミリオンアクセス達成の興奮覚めやれぬ中、一週間で一番強い日が巡って参りました。
ん?だって他は全部ウィーク(week weak)デイ、
おっと!先ずは日付をその弱い日の一昨昨日に戻しましょう。

ふう、無事に録画映像があったわい。
そうです。
某国営放送で再放送中のアニメ『火の鳥』の事です。
一週間待たされた『太陽編』の最終話を視ることが出来ました。
うーん…
はっきし言って期待はずれだったなあ。
何もかにもが中途半端で、原作がまったく生かされておらず、ビジュアルだけを楽しむ一本と断じていい作品でした。

先ずは繰り返してるよう、近未来がばっさり切られてしまってる為の歪です。
そのせいで、げにもパンパなエンドになってしまいました。
犬上が霊界とのコンタクト能力がなくなって、マリモが分らなくなったってならねば、人間に戻ったという主人公設定が生きません。
その癖、神仏抗争も多くは描かれず、物足りない壬申の乱アニメに帰納してしまいました。
何で、八百比丘尼のとこの傷治療に行った逸話を切った?
これではマイナー『異形編』を敢てやった意味が半減です。

大海人皇子 → 天武天皇もハンパでした。
そもそも乱のモチベーションは、兄天智の過度の仏教保護への反発でした。
そして、乱の途中に火の鳥と接触する事になり、自らを日の神=神体とする新宗教を思いつくって設定だったのですが。
アニメでは、いざ玉座に座るや否や、やっぱ仏教保護の兄路線って事になっちまいました。
なんか短兵急だなあ。
これではキモの宗教戦争も、エンドに犬上が放浪に出たシーンを持ってきた脚色も生きません。

おっと、長くなった、日曜万葉噺に移りましょう。

万葉時代は将に、我国に仏教が伝来し広まっていった時期に掛かってるんでしたね。
巻十六3849-50に、世間の無常を厭へる歌二首というのがあります。

生死の 二つの海を 厭はしみ 潮干の山を しのひつるかも

世間の 繁き假廬に 住み住みて 至らむ國の たづき知らずも


sio3849.jpg
ねえ、世間(=よのなか)の無常って、仏教の定番概念ですよねえ。

3849。
生と死のある現世の苦しみは、仏典ではよく譬えられます。例えば法華経では海。
その海に対して山といい、干満に例えて潮干の山と。
何やら分りにくいですが、恐らくはそんで正解っしょ。

3850。
現世を仮の住処といい、至らん国、つまりあの世はどんなもんか皆目見当も付かぬと歌ってるわけです。
そう、仏教はやたら死を美化するのが特色でした。

さて、この作者不詳の二首の左注に、
右の歌二首は、川原寺の仏堂の裏に、倭琴の面にあり
とあります。
川原寺とは斉明天皇の川原宮跡に、その子である天智天皇が建立したと…

今の、高市郡明日香村川原の弘福寺に、その面影をとどめます。

unnamed (10).jpg