『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』第10回・『青楼美人』の見る夢は のレビューは、杏花流『べらぼうマーケティング講座』と洒落こみましょう
べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜 『青楼美人』の見る夢は 杏花流『べらぼうマーケティング講座』 齋藤杏花(さいとうあんな) 齋藤杏花 江川紹子 蔦重 瀬川 花魁道中 「吉原だけでやりゃいいんだよ」の限定品戦略 一目千本 青楼美人合姿鏡 地本問屋 書籍問屋 山崎屋金兵衛 カルテル 現代においてもきわめて脆弱なカルテル 大河べらぼう 齋藤杏花(さいとうあんな)をして、史実と創作を混同させるほど巧妙に描かれてる『大河べらぼう』 高いことがむしろ魅力となる奢侈品戦略

てな訳で、東日本大震災発災14周年の日の2発目の記事。
そうねえ、先週予告してる事もありますし。
早速に噺に入りましょう。
第10話は、瀬川が身請けされ吉原を出て行くって話題一本の回、一点集中主義で色々な話が織り込まれました。
このとこの回の伏線の回収がされた回でしたね。
世の女どもの大半は、最後の花魁道中綺麗だったねえって、大抵はその程度のミーハー感想になることでしょう。
そう見てみれば、あのオウム長者の江川紹子までもが、ケチくさくも無料バージョンのSNS使って配信してますわ。
が、憚りながらこの齋藤杏花(さいとうあんな)、国公立大にはレアな『ボキの筆をとり世界を築く』学部のOGだ、
その面目に掛けて、蔦重の商売の切り口から直近回を斬ってみましょう。
いやホント、前回の段階で噺しちまわないでよかったわ。
そう、10話に有機的に続けなければ分析が浅くなっちまう、
つーことで、先ずは前回の保留事項から入りましょう、えーっと。
親父さまがたが、慇懃な鶴屋の態度にぶち切れ、絶縁宣言出しちまうんですよね。
そんでもって我等が重三が、市中に出回らなければもう (出版事業は) 成り立たなくなる…と嘆くのでした。
そっかなあ?真っ先に出てきた感想がこれです。
「吉原だけでやりゃいいんだよ」
うん、現代でも多用される限定品の売り込みですね。
吉原でなけりゃ入手不能、これが逆に商品の、なんてんだ?ミステリー性を惹起し、人々の購入意欲をさそう、
そうですよ、必需品じゃなくて娯楽品なんです。
なもん競合商品もないんですから、いい値で売ることができるのです。却って値が高いことが魅力となることさえある、って理論は後ほどにしましょう。
思い出して下さい。
蔦重記念すべき出版第1号『一目千本』。
店に並ばない事を逆手にとってのプロパガンダに成功してるのです。
重三自身思いついた限定品販売法を忘れちまってるんですよ。
案の定、一昨日の回で、須原屋から「引いてものをみるように」助言を受けてます。
んで、その須原屋の協力で肝心の『青楼美人合姿鏡』は上梓に至るわけです。
ドラマでは、鶴屋中心の地本問屋の今風に言えばカルテルが、蔦重の大きな障害になりますよね。
その流れで言えば、青楼美人は地本でなく書籍問屋の須原屋が小売してるってことになって、それ故に最後鶴屋が、
「(客層も全く違う)書籍問屋で売れるわけがない」と嘯くのですが…
客層ともうひとつ、販売単価です。
将軍家献上の3冊セットの豪華本…
前回の安価細見とは正反対の高価豪華本で、気付いてた気付かずか重三郎の採った、高いことがむしろ魅力となる奢侈品戦略を、根っからの地本屋は否定したわけです。
さて史実を調べてみれば、青楼美人は地本問屋の山崎屋金兵衛を相板元として出版されてます。
うん、ドラマでも名前は出てきた、ならばドラマ的には山崎屋は造反者ということになりますね。
そうなったら、カルテル破りでその後の商売がやりにくくなったのでは?と思いきゃ、そんな話は目にする事はありません。
そもそも、造反というなら吉原のそれが先に且つ、明確に描かれてる、ほら西村屋とこそこそ、あれですよ。そのあたり来週、吉原が2つ割れるか?!って筋があると予告されてます。
結論的にいうなら、そもそもカルテルなんてもの、近現代に置いても極めて破れやすいもので、江戸期に於いてのそれが成り立ってたとは到底思えないとこなんです。
こりゃドラマと史実とごっちゃにしすぎたかな?
齋藤杏花(さいとうあんな)をして、ごっちゃにさせるほど巧妙に描かれてる、大河べらぼうです。