今日であの東日本大震災発災から14年。もう…と言おう思った刹那、読売新聞に格好のコラム記事を発見しました
東日本大震災 311 東日本大震災発災14年 読売新聞 非生産的 世迷言 松永拓也 絶望の淵にある人を傷付ける言葉、かけていませんか …「幸せな第三者」の自覚を 石浜友理 読売新聞社会部主任・石浜友理 読売新聞の社会部はバカ揃い 読売新聞の社会部はバカ揃い。だからあんま読みたくない 石ころぼうし ドラえもん 忘れる事もまた供養 万人、自分の気に沿うように動け、その権利が不幸な目に遭った自分にはある、とでも言いたげなものの考え 万人、自分の気に沿うように動け、その権利が不幸な目に遭った自分にはある、とでも言いたげなものの考えで言動する松永拓也 齋藤杏花 (さいとうあんな) 齋藤杏花

さて、今更説明は不要でしょう。
かの311ね。
今日もTVでさんざっぱら聴かされることでしょうね。
なんってったって、月命日宜しく他月も、毎月11日になれば聴かされた位ですから。
ホントですよ。
一言「もういい加減、前を向きませんか」その一言ですよ。
ああ、このとこ別件でも耳にタコとイカが出来る位に聴かされる「風化防止」ね。
んなん、全然生産的でない、世迷言の典型です。
とまあ、そんな気持ちで捲った読売に出てきてたのが、懐かしい、ってか忌々しいてか、あの松永拓也って名前でした。
腹立ちますねえ…
未だこんなのがいたのか?ってカンジでねえ。
よう、社会部主任・石浜友理さんとやら。何云ってやがんだ、アンタに掛ける言葉は、これまたこの一言だけです。
おっと、感情を先走らせちまった、世迷言の典型に続けたって肝心の事を言わずに進めてしまいました。
何度もいってきたように、この松永ってのね。
全くのてめえ勝手に凝り固まった人物です。
うん、自身そう感じるのは勝手、何もその点を争う気は毛の先程もありません。
問題はね、他人に対してどうこうと、その言動に指図口叩いてるって点なんです。
甚だしくは指図口に留まらず、他人の心根にまで踏み入って!
こないだの中学生の子もそう。
私だってそうだ。
ウジウジめそめそしてんの見たら、意地焼けてきますよね。
だから、「私なら化けて出てやる」と、こう発言した訳ですが。
人前に露出したら、必ず反響が返って来ます。
そして不幸な目にあった者は多くの場合、如何なる反響が返って来ても傷つくものです。
ですから、多くの不幸な目にあった者は、ひたすら目立たぬよう、ドラえもんの秘密道具の『石ころ帽子』を被ったの如き生活を送るものです。
「忘れる事もまた供養」?忘られる訳なんだろ!、とな?
その通り!だからこそ人は、極力口にさえせぬようにしているのです。
それを、この松永ってのは何?!
万人、自分の気に沿うように動け、その権利が不幸な目に遭った自分にはある、とでも言いたげなものの考えで動いてます。
それ政治利用しようとする、いつもの如き、マグマ大使のゴアみたいな奴ら…
さて、ここから大河噺に続けるのはムリ、ですから大河べらぼうの話は記事を割って続けます。