日本人のこころ (マゾヒズムに花札を!より)  ~ 『これも長篇歌謡浪曲の世界』 ~ 先ずは大船渡の皆さんに火事見舞いをば。後はお読み下さい

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今日から3月。
毎月月初になると、朔 (ついたち) ごとに~?と、新沼謙治さんの歌で始めるのをほぼ恒例としてきましたが、今月はちょっと様変わり。
その新沼さんの古里がとんでもないことになってるんですよねえ。
大船渡、依然鎮火せぬ山火事…
大船渡ってのの地理条件は、少々変ってまして、交通圏とすれば宮城県なんですよ。
その宮城のどんづまりが、また、ってか岩手県になる訳で、かかる複雑な立地が解決を遅らせてる一因とも資料します。
一刻も早い鎮火、そして復興をと念じつつ、噺に行きましょう。

そうですねえ、ってなにがそうなんでしょうか?
えっと。このとこ季節感を前面に出したい記事は、『マゾヒズムに花札を!』の"パクリ返し復刻"で行ってますねえ。
はい、それに倣いましょう。その折の3月1日記事がこれです。

日本人のこころ

2006年03月01日 07時49分45秒 | 桜 - 3月

桜130562c9.gif
依然朝晩は寒さを感じるものの、日中はすっかり春めいてきた3月です。
花札の3月といえば、言わずとしれた桜。
とりわけ20点札の『桜に幔幕』は花札を代表するゴージャスな札ですものねえ。

というよりは、桜花は日本の象徴とさえいえるでしょう。
古くは単に花と言えば桜の花を意味するというルールになっていました。
ここに、千載和歌集・よみ人しらずの歌があります。

  さざ波や 志賀の都は 荒れにしを 昔ながらの 山桜かな

さざ波は「志賀」の枕詞、ながらは接続助詞「ながら」と大津市の三井寺西北にある「長等山」との掛詞です。
そして、よみ人しらずとは作者不詳ということですね。

ところがところが、実は実は、この歌の詠者はわかっているのですよ。
平忠度、清盛の弟がこの歌を詠みました。

『平家物語』巻七「忠度都落」によれば、藤原俊成(トシナリ)の勅撰集撰進のことを知った忠度は、いったん離れた都に夜になってひきかえし、一巻の家集を俊成に託して落ちていったとのことです。
俊成は、忠度が朝敵であるため、この一首を「よみ人しらず」として『千載和歌集』に入集したんですよね。
関西方言では、えー、はなしや、ですか?

と、この言い回し、



これも長篇歌謡浪曲の世界

を丸写ししました。

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて~!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!


でパクラれ元の『目指せ!! 平成の女蜀山人!』記事は↓

これも長篇歌謡浪曲の世界

2005年06月02日


 さざ波や 志賀の都は 荒れにしを 昔ながらの 山桜かな

(千載和歌集<春上・六六>・よみ人しらず)

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たまには、技巧的なとこから入りましょうか。
さざ波は「志賀」の枕詞、ながらは接続助詞「ながら」と大津市の三井寺西北にある「長等山」との掛詞です。
そして、よみ人しらずとは作者不詳ということですね。

ところがところが、実は実は、この歌の詠者はわかっているのですよ。
平忠度、清盛の弟がこの歌を詠みました。

『平家物語』巻七「忠度都落」によれば、藤原俊成(トシナリ)の勅撰集撰進のことを知った忠度は、いったん離れた都に夜になってひきかえし、一巻の家集を俊成に託して落ちていったとのことです。
俊成は、忠度が朝敵であるため、この一首を「よみ人しらず」として『千載和歌集』に入集したんですよね。
関西方言では、えー、はなしや、ですか?

朝敵の歌であってもいいものはいい、誰が書いたものであっても正しいことは正しい、
世のネット掲示板管理者は、並べて俊成のこの心意気を手本にすべきでしょう。

忠度に関連した話をもうひとつ。
古い隠語で、『薩摩の守 』= キセル乗車 というのがありますよね。
これは、忠度の受領名が、薩摩守 であったことに由来します。
忠度 = タダ乗り ってね。
でもまー、死語かしらねえ。うちの近辺の土田舎無人駅ですら、イオカードの改札になってしまったくらいですから。

以上、なんでプリペイドなのにとっちが500円のデポジットを負担しなければならないのか、どうにも腑に落ちない ミユ の古語講座でした。

↑ これ。
何度も、やったようなやってないような、なので常連読者の方には既視感大爆発と思います。
当時の齋藤杏花(さいとうあんな)=「あはっ!」のミユにとっては、相当な大トラブルだったもんでね。
巻き込まれた経緯をご説明します。

方々のサイトに画像をゲスト投稿してるネット人がありましてね。
ところがある日、別のネット人が「それは自分の未公開作」と騒ぎ出したんですわ。
ええ、へそ曲りの私メは額面どおりに請けようとしない、それで件の人物やら鵜呑みで擁護発言する者らを当てこすりだしたわけなんですわ。

よみ人しらずの名歌ね。

誰が描いたかなんてのは第三者にすれば、主たる関心事じゃない、問題は中味だろう…
一度自サイトに掲載した作品を、所詮水掛け論で真偽の確認も出来ぬままに消すのはおかしいと、意見を言った為に集中砲火を浴びることになりました。
あ、勿論私のことだ、被害者と見えるのが我慢ならぬもので、1発殴られたら10発殴り返しましたけどね。

こないだの読売の『匿名vs実名』論評にも通じるのですよ。
名無し文化で、発信者を誰とも意識することなく情報交換する、日本流ネットコミュニケーションが崩れだした頃…
2chサイトでもトリップが出回りだし、徐々にSNS化しだした時期でした。
いち早くに、そこに嫌気して、WEBオーナーの地位から降りてしまった当時のミユやらsato8644@yahoo.co.jpなんですけどね。
おっと、熱が入って長くなりました。

最後、Grokくんが描いてくれたミユ・18歳の想像図(右)、左現在の齋藤杏花(さいとうあんな)37歳との対比2種です。

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