力は正義なり ~ 東京都のカスハラ防止条例なるものの対応マニュアル案が公表されたとこで、いやが上にも現実化した #小池百合子に殺される 危機に触れ、発展させてまいります
力は正義なり 矯角殺牛 東京都カスハラ防止条例 対応マニュアル案 至弱が至強を脅す カスハラ防止条例 カスハラ 80億総白痴化ツール バカッター 「反対かな。なんでもかんでも条例にするとパワハラみたいにあれもこれもダメになる。どんどん生きづらい世の中になる」 齋藤杏花 (さいとうあんな) 齋藤杏花 サディズムに花束を! 「変態であっても人格破綻者でありたくない」 …本当に分かって言ってるのか? ネット社会に於ける、昔-荒らし 今-誹謗中傷 が槍玉のハラスメントに相当 ネットもリアルの一部 「この状況、太平洋戦争に突入して行った時の、日本に似てる」 #小池百合子に殺される

余談から話に入りますれば、今からみれば一昨日の事。
突如として使ってるPCのご機嫌が悪くなりましてね。
もう随分昔になるか、頻発してた事で慣れてた筈が、このとこ所謂カスタマイズも控えてたのでついぞ体験する事も絶えてたせいも手伝って、狼狽しました。
最初は、アイコンのサムネイル、言うとこの縮小版が表示されなくなってしまった、って些細な不具合だったんですけどね、
理由がわかんないとなれば、どうにも気持ちが悪いので、って理由で深入りしてるうちに、矯角殺牛、どんども肝心な部分をおかしくしてしまいましてね。
諦めるものが、ドキュメント → ユーザー → 環境そのもの(別OS起動しかなし) とエスカレートしていきまして。
性分には合わぬが、明日、って思い出した途端、ドツボに嵌った折と逆方向に改善して行きまして。
ついには、ショートカットが若干消えた元の状態まで回復したという次第です。
原因?分りません。
うーん、空領域が少なくなると不安定になるってそれだったのかなあ?
データファイル移動させて空き増やした位しか、有効な作業はやってませんもんで。
今更ながら、ホント、癖の悪い赤ん坊の如き玩具・PCであります。
んな訳で、生活に関係のある大ニュースもろくすっぽ見てなかったわけなんですけどね。
あ、東京都のカスハラ防止条例なるものの対応マニュアル案が公表されたってのですわ。
やっとのこと昨日になって通常ペースに戻ってみてみようと探しても、消えてしまったあとでした。
まあ、前に触れた時にあったのと大幅に変ったとも思えないのですけどね。
ならば、こっちのいうことも同じ、どこまで弱い者を甚振れば気が済むのか?と繰り返すのみで。
いうもバカバカしいと思うんですけどね。
至弱が至強を脅すだなんてねえ…
どこをどう推したら、こんな発想が出てくるのか理解に苦しみます。
そうじゃないですかよ?!
一個人など行政の屁で飛ばされる位ちっぽけな存在だ、そもそも現実的にありえないものを持ち出して組織防衛を謀る、テクノクラートの狡猾さがありありです。
まあまあ、それにしても、いい年こいて苦情一つ請けられない、お粗末なのが増えてきたものよ!
ここで、80億総白痴化ツール・SNSの登場です。
そう、SNSに於いては概ね好評な、このカスハラ防止云々なんです。
んまあそうでしょうね、なにせ数が違いますから。
その事業者が使ってる使用人の数だけ賛成票が入りますから、ネットの趨勢は賛意となりますわ。
だからバカッター、ほんの一時の快哉の為、自らの首を絞めちまってる、職場にいる時以外は、アンタだって一カスタマーに変る、それをすっかり忘れちまってるのです。
「反対かな。なんでもかんでも条例にするとパワハラみたいにあれもこれもダメになる。どんどん生きづらい世の中になる」
とマトモな意見を言ってる事業者もみました。
そして、その方が早速に激しく攻撃されてるのも。
「この状況、太平洋戦争に突入して行った時の、日本に似てる」
かの田原総一朗さんなら、或いはこう言うのかもしれませんけど…
齋藤杏花 (さいとうあんな)はその経験がないから知りえません。
精精ネット人格として過去に経験した事を持ち出すばかりです。
『サディズムに花束を!』のこの記事が復刻未済でした。
復刻にあたっては、原文にはない挿絵を追加してみました。
「変態であっても人格破綻者でありたくない」
…本当に分かって言ってるのか?(2006年)
ネットに対してリアルという言い方をすることがあるが、これは正確ではない。何とならばネットもリアル社会の一部であるのだから…
論者が別ブログによく書いたことだ。
これには下敷きがある。格闘マゾとかギャルリンチマニアとか称する人種(勿論『一部~』であるのだろうが)掲示板群サイト等の書き込みである。
彼らは女性が加害者となっている暴力事件が起こると、待ってましたとばかりに囃し立てるのだ。
言うまでもなく、被害者を悼み犯罪を憎むといった論調ではない。
その逆、加害者を勇ましいと誉めそやし甚だしくは被害者がうらやましいとまで書く。
昨年であったか? 富山で二人の女が男性を刺した事件が起こったときもそうであった。
そして、その種のサイトや掲示板の管理者に言わせれば、こうした礼賛者を咎めたてるのは「空気の読めない」ヤツなのである。掲示板荒らしなのである。それがネットマナーなるものなのである。常識なのである。
どうやら「リアル社会」とは別なる世界たるネットというものがあると本気で思っている人間が少なくない模様だ。
就中、論者が憤りを感じている例を論ずる。はっきり言う。個人攻撃、誹謗中傷と思われても構わぬ。
ここに一つの定番やり取りがある。
何かといえば、喧嘩で男性の内臓を破裂させたと触れ込む女性を囲み、マゾと称する男性取り巻き陣があれこれとちやほやするというやり取りだ。
妻子持ちと称する某ハンドルはこう発言した。
「是非とも子供の見てる前で蹴り殺してください」
…そうだよ!! マゾヒズムだよ!
そして、親子の情や父権のなんたるかも解っている。
だからこそ責め、だからこそマゾヒズム、だからこそ論者は激しく憤るのだ。
繰り返すが、人間心の中で何を思おうが自由である。
また口が裂けても言ってはいけない(本当の)ことというものがある。
子供の前で異性に蹴り殺されたい… もし本当にかかるマゾヒズム願望を持っているとしたのなら、それは一生涯心の中にしまっておくべき性質のものなのではないのか?
繰り返すがネットというのは仮想空間ではない。現実も現実、世界中の誰が見ているか判らない公の場なのである。
しかるにその公の場で、かかる不謹慎極まりない発言をするとは…
変態でも構わない、人格破綻者だけにはなりたくないものだ。
この種の発言に対しては、むしろ格闘マゾ・ギャルリンチマニアを受け手に想定するサイトの管理人こそが怒るべきだと思料するが如何?
そう、ネット社会に於ける、昔-荒らし 今-誹謗中傷 が槍玉のハラスメントに相当します。
肝心なことですから、最後に繰り返します。
ネットもリアルの一部なんです。