国技 (マゾヒズムに花札を!より) ~ 『美少女殺人鬼!?』 ~ 今日は紀元節、神武東征で昨日稿と繫げてみますか
国技 美少女殺人鬼!? 紀元節 神武東征 マゾヒズムに花札を! 旗日 火の鳥 黎明編 天皇騎馬説 建国記念日 梅 - 2月 モノポリー 目指せ!! 平成の女蜀山人! パクリのおっさん 齋藤杏花 (さいとうあんな) 齋藤杏花 甲斐姫 NEVADA 治部少に 過ぎたるもの 二つあり 島の左近と 佐和山の城 のぼうの城

つーことで御座いまして、本日は紀元節、
めでたい旗日です。
ん?なんで、「つーこと」なんだ?
しゃーない、無理矢理昨日の稿に繫げて噺しますれば、『火の鳥』の黎明編にも、冒頭画像のようなコマがありましたよね。
ニニギだ、アニメでは結末の部分が割愛され勝ちで、記憶に残りませんでしたが、あの黎明編は完全にその時分に流行った天皇騎馬説によってました。
天皇家の祖先は騎馬に乗って大陸からやってきたっての。
ともかくも、記紀の逸話の生きる紀元節、本日の建国記念日です。
でーね。
『マゾヒズムに花札を!』には、間違いなく2/11付でその旨の稿がパクられて載せられてると思ったんですがね。
意外や意外、2月11日の投稿は以下でしだ。
国技2006年02月11日 18時05分48秒 | 梅 - 2月
突然ですが、皆さんはモノポリーというゲームはご存知ですか?
勿論非電源タイプのゲーム、テーブルゲームというかボードゲームというか、其の種類のゲームです。
バンカースという名での子供向け簡易版がありますので、そちらで遊んだ人もいるでしょう。そうした人たちは、バンカースの本格版をイメージしてください。
ともかくも、モノポリーというのは世界規模での競技人口が非常に多いのですよ。
日本で言うとどうしても麻雀をイメージしてしまいますけど、遥かにこっちの方が普及している、言ってみれば、麻雀が野球でモノポリーがサッカーといったところでしょう。
では、花札は?
当然、相撲です。日本の国技ですよ。
ただまあ…
実際にこの記事を書いている大相撲名古屋場所期間中のある日、前代未聞といっていいような不祥事が勃発しました。
ご存知ですよね?
大関・千代大海 vs 前頭・露鵬 の取り組み後の小競り合い、それに端を発した部外者への暴行。
くどくは言いませんが、国技の担い手、それも看板たる幕内力士としての自覚を持った行動をしてもらいたいものです。
露鵬関。
関取のお国は北のロシアですね。
お国ほどではないでしょうけど、日本の冬もまた結構寒い。新暦で言えば2月ごろが最高かな?
そんな中いつ早く春の訪れを感じ取り、慎ましやかにも力強く咲く花が、花札に描かれてます。
そう、梅の花。我々日本人は、この花のこころを様々な形で伝えてきました。
関取も、ひとつここは花札で、日本のこころを実感してください。
さてなんだかんだ言いましても、闘いというのはやっぱり殺し合いです。
だからこそ、礼節というものがあってしかるべきなのです。
古来、日本の武士たちは、それを実践してきました。
そして、殺伐とした殺し合いすら競技感覚で楽しむ。
八幡太郎の衣川、那須与一の扇の的、これから話す逸話もそうです。
治部少に 過ぎたるもの 二つあり 島の左近と 佐和山の城
治部少とは石田光成のことですね。
さて、この歌を枕に、これからお話しするのは、光成が秀吉の配下として小田原開城後の関東を平定していたおりの逸話です。(多分忍城の出城だったと思う)
この城のお姫様は弓の使い手として、近隣でも評判でした。
我こそは一番乗り! と攻め寄せる屈強の武者を、姫様が見事射止めるごとに、城方はどっと歓声をあげる。
圧倒的に有利な攻め方はたった一人に梃子摺り、なかなか落城させられなかったといいます。
そうでしょうねえ、姫様といえば城のもの全員のスーパーアイドル、この人が大活躍したとなれば大概勇気100倍となりますよ。
昔の戦とはスポーツ感覚だった、ということを現す逸話でした。
と、この言い回し、
↓
美少女殺人鬼!?
を丸写ししました。
………
………
わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!
いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて~!!
(;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!
考えてみたら、意外でも何でもない、当時の私であるミユが『目指せ!! 平成の女蜀山人!』をやってたのは、4月末から9月半ばまででしたわ。
2月の祝日に触れてる訳がありません。
意外なのはパクリのおっさんも齋藤杏花 (さいとうあんな)と同じに、相撲好きだったってこと。
おっとぅ!
…で、パクられてる『美少女殺人鬼!?』は以下となります。
美少女殺人鬼!?2005年06月19日
治部少に 過ぎたるもの 二つあり 島の左近と 佐和山の城
治部少とは石田光成のことですね。
さて、この歌を枕に、これからお話しするのは、光成が秀吉の配下として小田原開城後の関東を平定していたおりの逸話です。
いや、実は死出の旅路は… を書いた直後にお話ししようと思って資料を探したのですが。
どこへ行ってしまったのか、とうとう見つかりませんでしたので、ここで見切り発車します。
全く違ってしたら、私の創作ということにしておいてください。
(ホント随想って便利)
さて、そんな関東平定のおりの、とある小城攻めのおりです。
(多分忍城の出城だったと思う)
この城のお姫様は弓の使い手として、近隣でも評判でした。
我こそは一番乗り! と攻め寄せる屈強の武者を、姫様が見事射止めるごとに、城方はどっと歓声をあげる。
圧倒的に有利な攻め方はたった一人に梃子摺り、なかなか落城させられなかったといいます。
そうでしょうねえ、姫様といえば城のもの全員のスーパーアイドル、この人が大活躍したとなれば大概勇気100倍となりますよ。
昔の戦とはスポーツ感覚だった、ということを現す逸話でした。
……ちょっと待ってください。
これは、殺人ですよ。
屈強な男が、これからの人生の全てを奪われているのです。それも何人も。
しかも、この時代はまだ兵農分離になったばかりの時代で彼らは専門兵士というわけではなかったと思います。
一家の働き手を奪われた、その家族の悲哀…
むごい話です。
お客様の一部には、15歳の少女に殺された武者に我が身を置き換え、萌える方も?
いやいや、別に当て擦りではありません。
それが、マゾヒストですから。異議は少ないでしょう?
以上、某巨大掲示板群でSMに関して喧々諤々やった ミユ でした。
甲斐姫ですね、NEVADAじゃない。
ミユの知らなかったこのキャラを齋藤杏花 (さいとうあんな)は、映画『のぼうの城』で知る事になりました。
さて、本日は続けてもう一稿あげたいと思ってますので、本稿はここで切り上げます。