えー、阪神淡路に関連する万葉の歌探すにです。何と、西にも真間の手児奈と同じ様な逸話がありまして、同じ様にその伝承を詠んだ歌がありましてね

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さて大相撲の世界で、横綱・照ノ富士が引退するという大ニュースがあったため、昨日は触れる機会なく、隔日の続編となりました。

阪神淡路大震災…
今でこそ、このように正式名称で言われることが多くなったものの、長い事『阪神大震災』って略され方をしてました。
この略称ってあんま、実体にそぐってないですわ。
俗に神戸の地震ともいいますが、神戸市の半分以上はかすり傷も負いませんでした。
増してや大阪に至っては、確かに死者一名でてきますが、この人って頭の上に降ってきた物の当たりどこが悪く、運悪く落命したって方でしたよ。
半分以上が破壊された淡路島とは比べ様がありません。
そんな事なら、当初の兵庫県南部地震のままの方がよかったとも言われたものでした。

ま、阪神ベルト地帯が人口密度の関係で、大きな被害を出した地震、ってことで俗に阪神大震災って言われたんでしょうね。
んで、今日は日曜で万葉噺の日。
既に噺してる淡路を除いたとこの、震災の地名が出てくる歌はないものかと探したとこです。
流石は万葉集ですねえ。
なんとなんと、意外にしてどんぴしゃのが見つかりましたわ。

菟原処女…
この菟原ってのが、今の兵庫県芦屋市あたり、或いは隣接する神戸市灘区に掛かるあたりかもしれません。
そして肝心な中味。
なんと、二人の男から求婚されて切羽詰って、川に身を投げて果てたという伝説があるということなんです。
なんとなんと、真間の手児奈とそっくり同じではありませんか!
田辺福麻呂って下級官吏が詠んだ長歌が巻九にあります。
万葉フリークを自負する齋藤杏花 (さいとうあんな)が、正直今の今まで、これを知りませんでした、お恥ずかしい…
おっと、以下です。

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古への ますら壯士の 相競ひ 妻問ひしけむ 葦屋の の 奥津城を 我が立ち見れば 永き世の 語りにしつつ 後人の 偲ひにせむと 玉桙の 道の邊近く 岩構へ 作れる塚を 天雲の 遠隔の限 この道を 行く人ごとに 行き寄りて い立ち嘆かひ ある人は 哭にも泣きつつ 語り繼ぎ 偲ひ継ぎ來る 處女らが 奥津城どころ われさへに 見れば悲しも 古思へば

反歌が。

古の 小竹田壯士の 妻問ひし 菟原處女の 奥津城ぞこれ

語りつぐ からにも幾許 戀しきを 直目に見けむ 古壯士

言いませんでしたが歌番は1801-3になります。

詳細は…いいでしょう。
余りにも手児奈と同じで、特にいうべきものも見つかりませんので。
更に言うなら、手児奈の歌にあった生前の姿を偲ぶ箇所もなく、墓を通ったと繰り返すだけで、一段落ちるものと考えますので。
単に、東西に類似の伝説があった旨の紹介としましょう。
それと、菟原処女の長歌は家持にもありますのでいずれまた。

さて、ここから分ることというなら、万葉時代って、案外日本が狭いもんですね。
上がった時代よりも、むしろ、情報の行き来があったようにさえ感じられます。

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