フェイク、フェイクと喧しく口にしますが、果たして真実とは何なんでしょうかねえ? ~ 二つの事例に見る

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先ずはー、です。
琴櫻、綱取り失敗!!!!!
のニュースからです。
さてまあ、舞台裏を明かすなら、例によって前日に起稿してる齋藤杏花(さいとうあんな)は、まだ4日目の取組、琴桜-霧島 を観ては居りません。
よって、大関のここまでの成績は1勝2敗です。
ん?まだ2敗なんだからわかんないだろ、と。
みーんな、そういってる、それが気に入らないって言ってるんです。
見りゃわかるでしょうよ、どう贔屓目にみてもあれでは『優勝に準ずる成績』など残せそうもないでしょうよ、仮に苦手の霧島戦に完勝したとしてもです。
何で、気休めばかり並べる?
何で、また一から出直し、さあ今日、今この瞬間からだ、
と言ってやらない?
琴風さん、お気持ちはわかりますけど、それじゃ生真面目な後輩大関に重圧かけるばかりですよ。

人は日本人横綱と盛んに言いますね。
うん、今の情勢考えるなら、日本人のメンタルなら、それこそその壁を乗り越えるのは容易なもんでないでしょう。
思い出すのが、昔、最盛期だったアマチュア野球です。
贔屓の引き倒しと商業主義の都合で、どれだけの数の有望選手が蕾のまま枯れたことでしょう。
そして、その影響は真面目ってか気のいい者ほど多く受けました。あ、土屋正勝さんの事です。

それと同じ状態が現在の角界でしょう。
だからね、C調な奴は逆に得する訳ですよ。
そう、大の里のこと言ってます、常連読者の方ならお察しでしょう。
ねえ?能登の震災復興のシンボルとして、ニューヒーロー作る政治的意図があった、
素行は北青鵬と似たりよったり、なのに方や廃業強制で他方はお咎めなしの優勝です。
同門にこんなのがいたら、王子様も心穏やかでないはずですよ、繰り返してるとおり。
今場所はもう、観んのやめべえか、そんな気にもなってきました。

さあて、噺は変って読売記事からです。
数日前の朝刊一面に出てましたわ。
残念ながら(WEBでは)読者限定記事ですから、肝心な部分だけを抜粋転記します。
[記憶の継承 阪神大震災30年]
<1>つらいけど 残したい
 遺族が語る「オーラルヒストリー」」

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「死をひとまとめにして扱うってのは失礼だって気がするんだよ。5000人いたら5000通りの死のあり方ってのがあるはずだ」
 1995年秋、ビートたけしさん(77)がこんな発言をしていると人づてに聞き、都市防災の専門家として責任の取り方を考えた。「一人ひとりの記録があって、初めて被害の 全貌がわかる」

ああ、そっか。明日で発災30年なのね。
それで特集はいいんですけど…
そお?たけしさん、(阪神淡路大震災に関して)そんな事いってましたか?
どう考えてもそうは思えない、というのは、私、TVの番組でむしろ否定的な発言してるのを実際に聞いてるんです。

民放のTVタックルってのがあった、今はどうだか知りませんが、たけしさんがシテの番組です。
ちょうどその時、バイク事故を起こし復帰第1号となった放送を、ご幼少の齋藤杏花(さいとうあんな)中の人ははっきり覚えてるんです。
「補償の為政府が政府がというが、天災であって政府が起こしたものではなかろう。一方自動車の事故なんて100%人為のものについては、あんま政府といわない」…
流石のキワ物番組でもいっちゃいけないことだったとみえて、ここでCMに振られてしまいましたが。

で、読売の記事に戻せば。
あのように書いてあるものを、高々幼児の記憶如くで引っ繰り返せる訳は絶対にありません。
けどね、よく読んで下さいな。
件の記事は「人づてに聞き」であって、記者が取材して実際に本人から聞いたものではないのですよ。
一方私の記憶は実際にビートたけしが喋ってるのを、TV越しながらこの目でみてる、
なのに、世間がどっちに信憑性があるか判断するかは、いうに及ばないでしょう。
いやそれどころがです。

例えばSNSあたりで、「読売が眉唾書いてる」と声上げたら、こっちが抹殺されちまうことになるのですよ。
この点、Grokくんに訊いたのがありますんで貼っておきましょう。
twitter改メXで、真面目な意見を含むポストをすると『攻撃的』ってレッテルを貼られてしまうのは何故なんでしょう。一部の者に不快な思いをさせる言論表現をも含めて保障されるのが言論表現の自由と心得ますが。

X(旧Twitter)で真面目な意見を述べたのに「攻撃的」とレッテルを貼られる理由はいくつか考えられます:

1.文脈の欠如:SNSでは、投稿の文脈が伝わりにくいことがあります。特に文字数制限があるため、ニュアンスや意図が誤解されることがあります。
2.感情的な反応:オンラインでは、意見が感情的に受け止められることが多いです。特に、敏感なトピックに関する意見は、相手の感情を刺激しやすく、「攻撃的」と見なされることがあります。
3.プラットフォームのアルゴリズム:Xのアルゴリズムやモデレーションシステムが、特定のキーワードや表現を「攻撃的」として自動的にフラグ付けする場合があります。これは、プラットフォームがコミュニティガイドラインを守るために行うものですが、誤検知が起こることもあります。
4.意見の対立:特に政治や社会問題に関する意見は、意見が対立することで「攻撃的」と感じられることがあります。特に、自分の視点と異なる意見が「攻撃的」と誤解されることがあります。
5.過敏な社会状況:近年、社会全体が多様性やインクルーシビティに敏感になっている中で、何が「攻撃的」かという基準も変化しています。一部の人々にとって不快な表現が即座に「攻撃的」と見なされることが増えています。

言論の自由については、確かにあなたの言う通り、他者に不快感を与える可能性がある言論も含めて保障されるべきです。しかし、プラットフォーム上では、ユーザーの体験を保護するために、一部の制約が設けられることがあります。これは、自由と規制のバランスを取る難しさを示しています。

改善策としては、自分の意見を述べる際には、可能な限り丁寧な言葉遣いや明確な文脈の提供、そして反論や批判に対しても敬意を持って対応することが重要です。また、特定の用語や表現が誤解を招く可能性がある場合には、それを回避したり、注意書きを加えることも有効です。

ま、そういう事で、必ずしも今の世の中、万人が平等に意見を言える体制ではないようで。
それどころか、強者弱者の格差はむしろアナログ時代より広まってるともいえましょう。
だからこそ、世論に迎合したインフルエンサーだかいう存在が出てくる訳です。

そんな世相で真実を知る方法とは、如何なるものなんでしょうか?と疑問形で〆ときましょう。

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