鳳凰と麒麟 (マゾヒズムに花札を!より) ~ 『しゅうまつ(掛詞)はアブ特集!!!!』 ~ 我流ウイークエンダーは昔からやってたみたいでして、はい
陽を見ない 女の腿の 二十三 鳳凰と麒麟 マゾヒズムに花札を! しゅうまつ(掛詞)はアブ特集!!!! インターネット不通 桐 - 12月 刺青 麒麟 谷崎潤一郎 クラフト・エービング 齋藤杏花(さいとうあんな) 齋藤杏花 足フェチ ♀の持つペニス ウィークエンダー

実は昨日の最初の投稿で。
(正月飾りは)先勝の今日やっちまうべえかと思い立った、と書きましたよね。
ネタ晴らしするなら、実は、投稿する前に全て飾りつけは済ませてたのです。
いえ、予定が狂いまして。
そう、朝起きてみたら、インターネットが繫がらなくなってたんですよ。
そうなったら弱い、何せモバイルやってないのでJcomネットが只一本の命綱、よってにっちもさっちもいかなくなって、PCから離れた事をやってたという次第なんです。
んで、戻ってきたらいつの間にか復旧してたって僥倖に出会えましてね。
おっかなびっくり、いつものペースでネット始めだした訳です。
随分長い事ノープロブレムだったのが、このとこ立て続いてますね。
どうも年末年始に掛かるとトラブルになるジンクスがあるようです。
齋藤杏花 (さいとうあんな)が急に居なくなったら、そういうことなのだとお思いになって下さい。
よって投稿も当たり障りの無い、過去の復刻で済ませます。
『マゾヒズムに花札を!』からです。
鳳凰と麒麟2006年12月20日 17時46分38秒 | 桐 - 12月
花札12月の光札は鳳凰に桐、ご案内のとおり花鳥合わせの組み合わせがそのまま採用されたものです。
このカップリングは非常にポピュラーなのもであって、例えば家紋にも用いられます。
うん、あの太閤秀吉あたりも好んで使ったようですよ。
思えば、お血筋も素行のあまりよろしくない秀吉のこと、自らをかしこきあたりに模そうとしていたのかもしれません。
そうでした。鳳凰とは聖徳の天子の兆しとして世に現れるとされる架空の鳥でした。
動物で同じく聖天子の瑞兆とされるのは麒麟ですよね。
いやいや、実在のキリンではなくて、麒麟麦酒のラベルに描かれている架空の動物です。
さて、麒麟という短編小説があります。
これが非常にシニカルな話で孔子、そうですね、奇しくも話題にしたばかりのあの孔子があろうことか女の色香にたぶらかされてしまうというものです。
これには下敷きがありまして。論語の雍也(ようや)篇です。
「子、南子(なんし)を見る。子路(しろ)よろこばず。夫子(ふうし)これに矢(ちか)って曰(のたまわ)く、予(わ)が否(ひ)なる所のものは、天これを厭(た)たん、天これを厭たん」
孔子の故国の隣の衛(えい)の国では、王妃の南子に芳しからぬ噂がありました。
妖艶なのはいいが、それを通り越して奔放淫蕩なのです。美男の愛人もいる。
そんな南子が、孔子に会いたいと言う。いったんは絶(ことわ)った孔子だが、二度の申し出に絶りきれず、南子と会いました。
剛毅な弟子、子路は、孔子が南子と会ったことが不快。なんであんな不徳義な女と会われるのですか、というわけですね。
司馬遷の史記にあったものに目をつけた谷崎潤一郎が一遍の短編小説に描いたということです。
因みにこの『麒麟』は文庫本では、『刺青(しせい)』と同じ冊子に収録されてます。
刺青…
そういえば、ちょうど一年くらい前でしたよ。別のブログで記事にしたのは。
まあ、その折、SMクラブの女王様(役コンパニオン)が、谷崎潤一郎の名前すら知らなかったことを嘆いたのですが。
そうですよねえ。マゾヒズム文学の巨頭ですよねえ。
うんうん、薀蓄を垂れましょうか。
谷崎潤一郎は、その数々の作品の中で♀の足に随喜の涙をこぼす狂信者を芸術化してるですか?
「五本の指の整ひ方、江の島の海で獲れるうすべに色の貝にも劣らぬ爪の色合、珠のような踵のまる味、清例な岩間の水が絶えず足下を洗ふかと疑はれる皮膚の潤沢、この足こそは、やがて男の生血に肥えが、男のむくろを踏みつける足であった。……」。
おっと、なにを隠しましょう、実のところ僕も、谷崎をよく読んだことがないのです。
ここらで終わりにしとくのが無難、
と、この言い回し、
↓
しゅうまつ(掛詞)はアブ特集!!!!
を巧みに丸写ししました。
…なんか、釈然としないよう…な…
………
………
わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!
いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて~!!
(;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!
そうでしたね。このミユ流マゾ花は、番頭グループ広報担当大幹部homerことatが、当時の齋藤杏花(さいとうあんな)であるミユ様の『目指せ!! 平成の女蜀山人!』をパクって投稿してるサイト、という設定でした。
そのアイロニーを最大限に生かした一稿と自画自賛します。
で、元稿は以下です。
しゅうまつ(掛詞)はアブ特集!!!!2005年06月10日
陽を見ない 女の腿の 二十三
(桂華)
さてさて、いつぞやの話の続きです。
先ずは、「マゾ」の命名主、クラフト・エービングの報告事例を読んでみましょう。
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(例)二十九歳の官吏。
彼は六歳ころ、素足の女性をみて興奮した記憶がある。
それからズッと彼は足を追っていた。
八歳のとき、まったく自発的に素足を空想しながらオナニーをするようになったが、十四蔵のある夜、眠っている妹の部屋へ忍び込んで足をつかみ接吻した。
十六歳のとき、よく下女の靴や靴下をヘッドの中へ運んで、興奮を高めながら自慰を行なうようになった。
十八歳-初交。しかし、フェティシズムは消えやらず、二十四歳になると、異性をいとうようになり、二十六歳で都会へ出、同性愛の生活へ入った。相互自慰と口淫である。
しかも次第に男の足をみて夢精したりするようになり、路上の男を追いかげたこともある。その男が靴をぬぐかもしれないと思ったので。
男の足が見られないときは、自分が素足で外出しようという衝動に駆られ、雨の日でも毎夜数時間さまよったことがある。
手に靴をもち興奮にふるえ、ついに射精するまで。
いちばん幸福だったのは、温泉へ行って「ノイローゼ」の静養をしていたときである。
人々がみな、素足で歩いていたから。
やがて、女性への関心が再び湧いて来だけれども、性行為に入るには相手を素足にしなげれぱならなかったりして、なかなか満足できなかった。
そのためまたもや同性愛がぶり返し、ただ男の素足へ接吻するだけでも十分満足するようになっていた。
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とまあ、この一例などは、足の狂崇に、同性愛や自己愛まで加わって複雑な姿をとっているますよねえ。
なぜ足フェチ♂が多いのか? それは足というものが♀の持つペニスだから。
だから足のフェチシストの大部分は、踏みつけられたり蹴られたりしてよろこぶ被虐症者である、
これは、前にお話しました。
谷崎潤一郎は、その数々の作品の中で♀の足に随喜の涙をこぼす狂信者を芸術化してるですか?
「五本の指の整ひ方、江の島の海で獲れるうすべに色の貝にも劣らぬ爪の色合、珠のような踵のまる味、清例な岩間の水が絶えず足下を洗ふかと疑はれる皮膚の潤沢、この足こそは、やがて男の生血に肥えが、男のむくろを踏みつける足であった。……」。
おっと、私は谷崎をよく読んだことがないのです。
ここらで終わりにしとくのが無難、あはっ!
そうだ、杏花流『ウィークエンダー』の源流…
最初にウェブオーナー手がけた2005年にはあった訳だ、あはっ!