華佗 (中国・三国) - 世界で初めて麻酔を使った外科手術をした名医 ~ 本日2発目の記事は、実質、1発目の記事の注釈なのかもしれませぬ

IMG_1849.JPG
我が庭のへそ曲りキクの蕾がふくらみましたわ。
この分なら例年同様、年内には開く花が見られるかもしれません。

本日2発目の記事、ってことになるのですが、実質は…
1発目の記事、
黒田あいみ - 解剖実習用献体をWEB公開した美容外科医 ~ この女のサディズムを弊サイトは悪(=にく)む
が往時と同じく一人称論者で書いた、リンク張りの無い記事でしたので、その注釈をするため、同じ『サディズムに花束を!』カテゴリからもう一本記事を入れることにしました。
リンクに事を云うなら、一つだけ、愛と悪(お)、挙げたばかりの記事と平仄を合わせました、あとは各位でお探し下さい。
ん?ですから隠しリンクで件のアーカイブがありますから。

さて、昨日のクリスマスの日も某SNSは、件の話題で賑わってました。
主として、臓器提供というタグでです。
こんな奴等の玩具にされるのなら、臓器提供など一切御免というものやら、否、一部の不心得者の職業倫理欠如の問題を医学の発展阻害に繫げるのは筋違いとするものやら。
そこで私、一人称論者でない齋藤杏花 (さいとうあんな)の感想です。

真っ平御免!
如何なる理由に於いても自らの遺骸を弄られるなんて、考えるもおぞましい事です。
ええ、ええ、新しい健康保険証が来る都度真っ先にその旨を書き記してますわ、今度保険証がなくなったらどうなるんでしょうかねえ?
ま、当分は死なないだろうという事にして、兎も角そういう意味に於いて、この世とやらには髪の毛一本残したくないとの価値観です。
そう、お骨も残したくない、将来進んだ科学の下、21世紀人のDNA鑑定の材料にされたら、死んでも死に切れませんわ。
昔の忍者は顎の下に爆薬仕掛けてあって、最期を悟ると顔を焼いて誰だかわからないようにしてたとか云いますね。
それと同じく、体内に小型原子炉埋め込んどいて、脳死だか心臓死だかを感知した途端爆発させて原子の欠片に戻しちまいたいですわ、叶う事なら。

臓器移植の再生医療のなぞ、手掛けてはダメ、人間はいつから神になったのか
そこらの価値観を鮮明に書き記したのが、下記の稿です。

華佗 (中国・三国) - 世界で初めて麻酔を使った外科手術をした名医
(2006年)

2ce943e1.jpg2ce943e1.jpg
本プログは女性のサディズムをメインテーマとする。
従って、ときたま男性を主役に論を進めることがあっても見かけとは裏腹、ちゃんと女性心理を論としていることをお含みの上お読み願いたい。

さて、三国志演義によれば華佗が処刑された理由はこうだ。
偏頭痛に悩まされていた曹操に主治医である彼は、脳髄を切り開き腫瘍の除去を勧める。
とはいうものの3世紀になったばかりの頃である。
曹操は「頭蓋を切り開かれて人が生きていられるものか!」と激怒し暗殺未遂の咎で処刑してしまうのであるが。

論者が推測するに、曹操は華佗の理論を理解していたと思う。
ただ当時の民衆はとなれば、脳腫瘍の摘出手術など理解できようはずもない。
曹操とすれば巷間に怪しげな風評が立つのを恐れ、心ならずも華佗を処刑せざるを得なかったのではあるまいか?
このように、医術とは常にその時代時代の価値観との相克を余儀なくされるのである。

さしずめ論者などは旧価値観の代表者の部類であろう。
各位は臓器移植をどうお考えか?
そして、ドナーとなってよいとお考えか?
論者は真っ平御免だ。例え死後といえどわが身を、いやわが身であった物体を切り刻まれるなど、考えるだけでも恐ろしくなる。

脳死だか心臓死だかは専門外だからよく知らぬ。ただ死体といえど、見た目では殆ど生体と区別がつかないものであることは知っている。
できるだけ新鮮な臓器を取り出すためには、まだ温かいうちにメスを入れねばならぬ。
紛れもなく死体損壊。キュリー夫人の稿ほかで論じたとおり科学とはサディズムの有効利用に他ならない、医学はその顕例といえよう。

一旦話を歴史上に戻せして、同じ中国はもっと前の時代、前稿のあたりまでスリップさせよう。
劉邦、漢の高祖だ。
高祖は宿病に取り付かれた際に主治医にこう質問した。
「余の病は治療すれば治るのか?」
はいと主治医。返して高祖。
「天命ということがある。手数を煩わせるには及ばぬ」

こうありたいと思うのだが、そうも行くまい。
臓器移植に強烈な拒否反応を示す論者であるが、いざ自分が移植手術を受けねば延命できない事態に遭遇したら?
多分なら、手術をしてくれと懇願するであろう。世界中の人々の中から自分に適したDNA構造を持つドナーを探し、一刻も早く移植してくれと泣き叫ぶであろう。
これが、一番恐ろしいのである。

いや、論者だけの事情でもあるまい。
事実、発展途上国では臓器移植目的の人身売買が絶えぬという。
自分よりも平均余命の長い子供が天寿をまっとうするのを待つ? おかしいではないか?
答えはひとつであろう。

さて少々転ずるに、標準的な夫婦を想定すれば、大概妻が夫を見送ることになる。
その標準的ライフスタイルにおける夫婦の夫に臓器移植により生存できる可能性があったとしたら?
夫自身は延命を望まなかったとしても、その時点ではもはや意思表示困難、従って妻が(移植用)臓器を欲しがるということになろう。
ここにまた女性のサディズムが存在したか? フィリピンで肝臓移植手術を受けたといわれるあの故人の妻の態度は…

この稿も奥歯にものの挟まったような言い方でしめねばならぬようだ。

もう今ならいっちまっても良いでしょう。
プロレスのジャンボ鶴田選手の事をいいました。

さてまあ『サディズムに花束を!』探してみたら、意外な事かはたまた当然の事か、サディズムの職業化を論説してる記事が結構あるのです。
しかも手付かずの処女地、1発目の注釈的位置づけの本稿でも、どっちを復元するか迷った記事も含めて数件です。

つーことで、年が変ってもネタには不自由しそうも無い齋藤杏花 (さいとうあんな) の BLOGです。

93224118.jpg