謡曲『定家』 (マゾヒズムに花札を!より) ~ 本稿は12月1日〆後投稿ということにして下さい
謡曲『定家』 齋藤杏花(さいとうあんな) 齋藤杏花 富士山 紅葉 アサガオ 金星と木星 駄バラ3きょうだい マゾヒズムに花札を! 桐 - 12月 師走 桐の葉も 踏み分けがたく なりにけり 必ず人を 待つとなけれど 式子内親王 馨香芬馥たり 百人一首の歌よりも先に 藤原定家 種をあかせばこういうこと 目指せ!! 平成の女蜀山人!
このとこ、おらっとこは好天続きで、齋藤杏花(さいとうあんな)俄道楽の写真撮影も順調であります。
先シーズン、ついぞ撮影できなかった富士山も、記事アイコンにして以降も連日バッチリ、アイコンは余所のアサガオ・紅葉・お星と続きました。
何か忘れてませんか?というわけでもないですが、今日のアイコンは久々、駄バラ3きょうだい中です。
そうなんですよ、どの方向からも小枝が葉っぱが被さってしまう位置に花開いてるもんで、今まで遠慮してました。
さて、昨日は月初でしたけど日曜と重なったもんで、それには触れることなしでしたね。
では約束(?)ですので、今日。
『マゾヒズムに花札を!』から、目ぇ瞑って12月1日付記事を復元します。
謡曲『定家』2006年12月01日 18時44分56秒 | 桐 - 12月
さて、一年の最後、師走となりました。
花札の12月は桐ですね。
桐は20点札とカス札3枚の構成になります。
花札48枚のひったり半分の24枚がカス札。
前月の雨がカス札1枚だったので、ちょうど年末二月で調整がとれるわけですね。
では、いつものように参ります。
桐の葉も 踏み分けがたく なりにけり 必ず人を 待つとなけれど
新古今和歌集<秋下・五三四>、式子内親王の作です。
人の訪れに対する淡い期待を抱きながら、庭に降り積もった桐の葉を眺めている孤独な心境が詠まれてますね。
ところで。
桐という木は非常に軽く柔らかく、それでいて案外丈夫。
まさに女性をイメージという感じですか。それも年上の女性…
そうなんです。
百人一首の撰者として名高い歌人・藤原定家は、年上の女性である式子内親王に生涯憧れつづけたんですよ。
初めて目通りが適った日の定家の日記には、親王の薫物について
「馨香芬馥たり」
と記されてます。
馨香芬馥たり…芳香に酔いしれ、そして、虜になった…
これを『匂いフェチ』というべきか、そもそも『匂いフェチ』なるものが果たして存在するのか、正直わかりません。
ただ、限りなく妖艶にして淫靡であることには異論はすくないでしょう。
と、この言い回し、
↓
百人一首の歌よりも先に
種をあかせばこういうこと
を丸写ししました。
………
………
わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!
いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて~!!
(;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!
ほお、"パクリのおっさん"(?)、『目指せ!! 平成の女蜀山人!』をパクって、王朝艶話にしたててますナ。
パクられ元は下記の2記事です。
百人一首の歌よりも先に2005年06月15日
桐の葉も 踏み分けがたく なりにけり 必ず人を 待つとなけれど
新古今和歌集<秋下・五三四>、式子内親王の作。
人の訪れに対する淡い期待を抱きながら、庭に降り積もった桐の葉を眺めている孤独な心境が詠まれてますね。
式子内親王(ショクシナイシンノウ)、仁平三年(1153)?~正治三年(1201)。鎌倉初期の女流歌人。後白河(ゴシラカワ)天皇の第三皇女。萱(カヤノ)斎院・大炊御門(オオイノミカド)斎院ともいう。「しきしないしんのう」とも読む。平治元年(1159)賀茂(カモノ)斎院に卜定(ボクテイ)されたが、のち病のため退下。晩年には出家した。閑寂な生活の中、藤原俊成(トシナリ)を師として、歌道に精進した。しみじみとした情感をたたえた恋愛歌がすぐれている。俊成から『古来風体抄(コライフウテイショウ)』を献上された。家集に『式子内親王集』。『千載(センザイ)和歌集』以下の勅撰(チョクセン)集に百五十五首入集。
と、事細かに人物解説をしたことにご留意ください。
種をあかせばこういうこと2005年06月15日
こうしてみると、最初にやったサイトは、それは熱心にやってたもんですね。
まあ並みの高3なら、目の色変えて受験勉強にエネルギー注いでる時期、その全てを注入してたわけですからね。
それ故、見返すに感慨があります。
つーことで、この復元、好不評にかかわらず続けることにしますわ、あはっ!