小野小町 - あとひとりの世界三大美"女(?)" ~ 生殖器一切が欠落した人は女性。そこから考えれば、生物としての人のデフォルトの性は、多生物とは異なり雌性

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はい、これは昨日の午前中、西千葉の西友に行く道すがら撮影しものです。
前もいったっしょ?おらっとこから西千葉に行く道々は、アサガオが絡んでる垣根が多う御座いましてね。
そう、こうして初冬になっても依然花をつけてるのです。
実際私も経験があります。
夏休みの観察日記のアサガオの種が零れたんでしょうかねえ?
いつまでもいつまでもどっかに生えたままでしてね。
気付けば霜の下りた日まで、小ぶりな花が開いてたのを見ました。
今?蔓草はもう真っ平です。

とまあ、実験観察がうざくて理科が嫌な齋藤杏花(さいとうあんな)も、知的好奇心には勝てず理系に首突っ込むこともあるのです。
そうそう。某国営大河ドラマの序に(前の時間の)『ダーウィンが来た!』をお相伴するようになって何年になりますかねえ。
昔初めての自サイトである『目指せ!! 平成の女蜀山人!』の折に放映してた『義経』の時にはすでにお相伴体制が記録されてますから、ダーウィンもかれこれ20年近く視てるわけです。
直近の放送は佐渡のコブダイでしたね。
でもこれ…
さかなクンで前にやってたわ、雌が雄に変るっての視た事あるもの。

佐渡は佐渡でも『サディズムに花束を!』で、私、雌雄の変化を書いた事がありました。

小野小町 - あとひとりの世界三大美"女(?)"
(2006年)

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前投稿でも触れた世界三大美女。
クレオパトラに楊貴妃、そして今一人が本稿の小野小町だそうである。
敢てフォローするまでもなく、眉唾の極みのであるが。

ただ、この小町、多情多感にして繊麗哀婉なる女性であったことは事実であろう。
写真等のない時代のこと容姿容貌は知る由もなし、されど彼女の残した和歌等により、その人となりは知ることができる。
例えば、百人一首にもある、この一首である。

  花の色は うつりにけりな いたづらに 我身世にふる ながめせしまに

将に本領発揮といったところ、後世『小町』が一般名詞として用いられるようになったのもさもありなん、である。
さりながら。
この女の中の女ともいえる小野小町、なんと生殖器一式がなかった とも。
これもまた、埒もない伝聞が一人歩きしたがための伝承と目されるものの、実際(生まれつき)生殖器一式のない女性というのもいる。
もし、差し障りあるようなら、どうかこれから先はお読みにならぬように願いたい、
と断り書きをいれて進めよう。

女性と言った。
生殖器一式がない女性は女性なのである。
この一点のみの肉体的特性が一般と異なるだけ、紛れもない女性なのである。
修辞しすぎたか? 精神的には全く普通の女性と変わりがない、と言ったつもりだった。
うん、逆例をあげれば、意図もつたわろう。

逆例、生殖器一式がない男性については、過去投稿・袁紹で述べた。
虚勢された元男性というのは、他にも肉体的な変調をきたすのみでなく、性格その他精神も一変してしまう。
言ってみれば男性でなくなってしまうのである。
これに対して、述べてきた女性はと言えば。
先天的でもよい。或いは疾病等の事由により後天的にでもよい。生殖器一式を失っても女性のままなのだ。
これを少し発展させればヒトという動物において、男性というのは特殊な性、原則的な性・デフォルトセックスは女性ということにもなる。

他の生物においては…
大まかにくくれば逆だ。
特定の個体が生殖機能をもっている期間のみを雌性と呼ぶ。
繰り返すが大まかにである。人間のように確固と区分された両性があるわけではないから。

それはそうとしても、この発見は興味深い。
人は、その精神をもって人たりえる、という哲学へと通じるので。
げにも。

この宇宙に、人のもつ精神ほど複雑怪奇・奇怪至極なものはない。

さてまあ、今んなってこれ読み返して、私ってスゲーなあ…ってナルシズムに浸ってるとこです。
だってそうじゃない?この時代、今流行の性の多様化なんてのは影も形もなかったんですよ。
それを、全くの独学でこれだけ書けるとは!

そうだよ、本稿、某滝本太郎の鼻っ面に叩き付けてやんべ、あはっ!

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