今日は七五三ですね。かく云う齋藤杏花 (さいとうあんな)中の人も、とおーい昔、下の兄とWで宮参りさせて貰ったことがあります

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いきなりミルキー千歳飴。
紅白の赤がいちご味に出来てるんですよね、これが。
その為か、七五三のことをイチゴさんと思ってた3歳児がいたとかいなかったとか。
七五三 子らの右手の 飴袋
下手糞!
つーことで、今日は七五三、けどおらほうの天気は生憎と下り坂です。
はあ、例年この時期、WEBやってたことがなかったんですね。
この話題が初物というのは、意外に感じてます。

そう、写真が残ってますよ。
遠い昔のこと、今はすっかり縁遠くなってしまったご近所の浅間神社に、下の兄と二人、お宮参りさせて貰った写真が。
ねえ、兄とは2つ違い、下の兄が5つで私が3つです。
あれから30有余年が経過してます。
で、考えてみれば、二人共ですよ。
あの写真の当時と苗字が変わってんるですね。
私は末妹のくせに長男をマスオさん状態にして、苗字の違う両親と引き続き同居、兄の方は養子に行って完全に余所の家の者になってます。
つーことで、この稿は今まで噺すことのなかった夫婦別姓について論じてみましょう。

予め云っておきますが、いつものように「私は二昔前の感性」とは前置きしません。
本件・夫婦別姓に関してそれで始めれば、謙譲を額面どおりとって斬り込んで来るのがいますからねえ。
こんな重要な事で一歩引いた状態から始めるのは愚かですわ。
とはいっても、大して噺すこともないのですけどね。
齋藤杏花 (さいとうあんな)にとっては賛否云々以前の問題で、なんでこんな事が俎上にあがるかそれすらも理解に苦しむことなんです。
なんでこんな与太噺が定期的に真剣に議論されるか、ただため息がでるばかりでして、はい。
高尚な事でもなんでもないんですがね、こんな夫婦別姓なんてのが何の利があるかって事なんですわ。
私にいわせれば、心が大人になってないのか、事務能力の著しく劣るのが騒いでるだけなんですよ。
その為に、社会風習として定着してる事を、根底から覆しますか?
そう、我国にはそんな風習はない、あるのは支那チョーセンでしてね。
だから別姓したいのは、支那かチョーセンに移住すればそれで事足ります、日本社会全体を巻き込まないで下さい。

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ひとつの慣習を変えるとなれば、どれだけのエネルギーがいるか?どれだけの原価を払うか?
一番をいうなら、子供の姓をどうするかなんです。
特に殊更に家云々を言わないまでも、これは大問題、異論ありますか?
大切なのは個だとか称しても、人は一人では生きられない、なんらかのコム作ることになります。
その最小クラスタが家族であり、家族の出発点が夫婦なんです。
同じ姓すら名乗ろうとしない者の夫婦生活など、只の打算としか評し様がありません。

ですからね。
改正するとすれば、両性いずれかの姓を名乗るって既定でしょう。
これがあるから、男の姓になるが多数だ、だから男尊女卑だなどという、的外れな言い掛かりを招くんです。
こうしたら、どうですか?
両性合意の任意の姓を称する、と。
そもそも庶民が姓を名乗る事となった時、最初の案がこれだったと記憶します。
いいですねえ、結婚して先ず最初にやるのは、相談して自分らの家の名称を決める事。
自分で作ったものですから大事にしますし。
未婚の子は同じ姓を名乗り、そして巣立つ時に別の姓を考え新たな家を作る、と。

とある賢所は、この方式、あはっ!

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