エリザベス・パソリー - 吸血症の妖女、別の奇行とは? ~ 復元に先立って、ススキノ事件・田村瑠奈(るな)の新情報をば

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今日はまた旗日でございまして。
何々、スポーツの日?
これって、ヘン!
いつもの横文字への反発のみでなく、スポーツって意味が趣旨に合わないっていってるんです。
あれですよ、スポーツってのは例えば囲碁将棋なんてのも含まれてきますから、祝日の意義である体力増進とはかけ離れたものになってしまいます。
要するに頓に祝日の単純休日化が進む、って枕して、ひねりのないタイトルにそのまんまの冒頭画像の、今日の噺に入る事としましょう。

先ずは例の札幌ススキノ・ススキノ頭部切断事件です。
先ず軽い方からってことで、母親の浩子被告の公判が行われてるわけですが、色々、ホント、大岡越前なら「見苦しい!」と一喝するような言い訳が次から次へと並べられてますねえ。
そんな泥沼の中、なんと、瑠奈の再鑑定か行われるって報を目にする事となりました。
うん、地方局が報じてます。

冗談じゃありませんよねえ?!
既に、半年以上って異例の長さの鑑定をやっておいて、まだ足りませんか!
はっきりいって、法制度の抜け道を突いた時間稼ぎにすぎません。
なんだあ、奇しくも今、袴田事件の顛末を潮に刑事訴訟法改正の機運がたかまってますが、こんなの方こそ先に手をつけるべきですわ。
さもなくば、殺されたもんは堪ったもんじゃありません。

それとですよ。
修ってのは、ホント、タチ悪いですね。
英語で「お前が私を殺すか。私がお前を殺すか」だああ?
聞こえません。
要するに、精神科医の立場知識を最大限に活用し、まんまと保身を図ってるだけですよ。
一見、娘可愛さのあまりにみせて、実は可也の用意周到さで、己の保身に走ってます。
検察も手緩いこと。なんで幇助に格下げしちまったんだか。
修こそ、第一に刑場にあげる人物であると、齋藤杏花 (さいとうあんな) は思料します。
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さてまあ、猟奇殺人者をいうなら、有史以来屈指のバトリ・エリジェベトの佐渡花稿をまだ復元してなかったんですわ。
二題噺的にルーマニアの話題を出したばかりなので、このタイミングで『サディズムに花束を!』のエリザベス・パソリー記事を復刻しましょう。
…私ったら、「この人物のことは知らない」なんて。
そうなんですよ。
パソリーなんて…
著者・高橋鐵が気取ったんですね。
英語読みすれば、エリザベス・バートリ。
そうでした、そうでした。
当時のルーマニアはハンガリー領でしたから、名前は我々と同じ姓→名の順、
そしてそのトランシルヴァニア地方が吸血鬼の在所でしたね。

吸血鬼伝説のモデルである事まで知りながら、大ボケをかました恥掻き記事が以下です。

エリザベス・パソリー - 吸血症の妖女、別の奇行とは?
(2006.4.19)

8c99c9a6.gif冒頭お断りする。論者はこの人物のことは知らない。
知らない、が、知らないなら知らないなりの論じ方は出来る。
それを心に留めお読み願いたい。

エリザベスという名からすると、英語圏の女性であろう。
すると、引き裂き魔・ジャックリパーあたりと同列に置かれる狂人?
ともかく、吸血症で有名だったらしい。

と、論者がこの人物の記載を見つけたのは、別の奇行の例示からである。
美しい侍女たちを裸にして乳を噛んだり口を縫い付けてしまったりした…
汚涜症と呼ばれる加虐フェチシズムだ。

性行為を表現するのに「ケガス」「ゲガレル」という俗語があるであろう?
文字通りのそれである。
実際性交しえないものを汚したり傷つけたりして代償満足を得ようとするものだ。
この種の痴漢は昔よりあとを絶たない。

また絵画彫刻などの美術品ですら、同様に傷つけられたりする。
たった今、聞いていたニュースで、法隆寺が傷つけれたことを知った。
そういえば昔放火されたか。
「こんな美しいものが、この世にあっていいわけがない」
と考えた青年の手により。

汚涜症は独占欲と結びついた女性型のサディズムであると言えよう。
男性のサディストは女性的な性格が多いということは、ネロの稿で書いたとおり。
本当に、人ごみなどで女性の衣服にインクを掛けたりナイフで切ったりする痴漢は、女の腐ったのであると言えよう。

このようにサディズムというのは、どうしようもないような代物なのか?
あながちそうとばかりも言えまい。
これは書籍からの引用であるが、全くの我が意であるので論者の意見として書き記す。

サディズムの一部は性愛生活の一部として、うまく消費されていく。乗位、愛咬、抱きしめ、等々である。
更に一部は社会的に価値がある高度な行動に変化してゆく。
例えば、
科学者が研究対象を攻究し学び取り解剖し把握するたくましい情熱に。
事業者が道を切り開き競争していく闘志に。
著述者がやわ腕に剣よりも強いペンを持ち、巨大権力を切り伏せる反骨心に。
そして、勤労者が低賃金であることも忘れて職責に没頭し、そのかたわら経済闘争・階級闘争の熾烈を運動へ参加する勇猛心に。

が、あまり甘やかされて育ったり、あるいは逆に周囲から圧迫されて攻撃性が全然発揮できなくなったりすると…
サディズムは必ず何かの折に爆発する。

近年の現状をつらつらおもんみるに。
女性のサディストというは数少ない存在である。否 不正確だ。顕在的な女性のサディスト、である。
SMという需給関係からすれば、たたでさえ甘やかされやすい存在だ。
で、巷間ネットにおける事情である。将に前者「あまり甘やかされて育ったり」の典型例ではないか!

加えて、SMということばが商業主義の目に留まったことが悲劇であった。
ネット界隈での主役たちは商業主義そのものというよりは、その尻馬に乗った遊び仕事の連中だ。
さしたる利潤を得ているわけではないからよいではないかと大きな顔をして、S女と称する人種を甘やかしまくる。直接そうしないまでも甘やかしまくる連中を側面フォローし続ける。
そして、歯止めをかけようとするものを妨げるのが、IT・ポータルサイト産業の面々その人たち。
彼らが都合上作ったネットマナーなるものに照らし合わせれば、とがめだてするものはサイト荒らしという「絶対悪」にされてしまうのである。

繰り返すが、サディズムは必ず何かの折に爆発する。
爆発したが最後、彼女はこの稿で論じたエリザベス・パソリー、過去稿で論じてきた残忍不逞なファッショ政治家、貪欲過酷な搾取者、そして凶悪殺人者…
このような地獄の番人になりさがってしまうのである。
差し詰め、巷間ネットのSM『業者』、『業者もどき』は地獄への案内人といったところか?

ここらで切り上げよう。
本稿の論者は些か感情的であったかもしれない、最後はフォロー。


 注* 元投稿は、4/19にされたものです。4/23に下記加筆がありました。


訂正とお詫びを。

>たった今、聞いていたニュースで、法隆寺が傷つけれたことを知った。
>そういえば昔放火されたか。
>「こんな美しいものが、この世にあっていいわけがない」
>と考えた青年の手により。

傷つけれたのは法隆寺であるが、昔放火されたのは金閣寺であった。
ご覧になり混乱した方がいらしたようなら、深くお詫びする。

詳細は、後刻改めて別稿で。

大ボケ記事ながら、中味はちゃんと正鵠を射てるもので、復元しました。

さて、話をまた現代の気違い無罪に戻しましょう。
繰り返しますが、これじゃ殺されたもんは堪りません。
気違いが人殺しても罪にならないのなら、気違いを殺しても罪にならないようにしなければ、バランスがとれません。
前近代的な昔の方が…

紛うことなき狂人、バトリ・エリジェベトは刑場の露と消えました。

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