何はともあれ、10月最初の日曜日で御座います

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どうも、一つの本格的論評をすると、反動に対する後始末の作業が生ずることになりますねえ。
そうなんだ、フェミ批判のアレが波及して、twitter改メXのアカウントが滅茶苦茶にされ、昨日はその尻拭いが一日取られてしまいましたわいな。
あんなものに如何なるレッテル貼られようが、それこそ痛くも痒くもないんですけど…
だからこそ、80億総白痴化ツールってことでしてね。
それでも地球は回る、それでもフェミは女の敵、であります。

負け惜しみを続けるなら、昨日はおらほう、一日冷たい雨で降り込められてたもので、丁度お誂え向きだったかもしれませんね。
まあ、一日交代の寒暖が繰り返される異常気象で御座いまして。
困るのは寝るときの布団なんです。
宵の口の気温に合わせてたら、夜中に必ず、あちぃ!若しくはさびぃ!で目を覚ます事になります。
そんな十月最初の日曜日で、万葉噺をする日になりました。

こうなってくるとまた、旧暦と新暦のギャップに悩まされるんですよ。
ざっと調べてみるに、予想通り『もみち』ばっか!
中にはこれで噺しても、いっかな?と思えるようなのもみつかりましたが、いくらなんでも季節感が出ない、つーことで後回しとします。
ここでは十月と書いて、かんなづき、と読ませるって興味深い事実から派生させて別の歌に繋ぐ事としましょう。

旧暦十月は神無月ですね。
何故、神無月?
年に一度のサミットの為に、各地の神様が神の国に集って、土地には居なくなるから。
じゃ神の国は?
そう。出雲の国では旧暦十月は神在月っていうんですわ。

んで、万葉集の出雲の歌です。
隣ってか奥の石見の歌は前にさんざっぱらやりましたよね。
どうぜん出雲の歌はあるでしょう。
今日はそのうちから、巻二十の4472を見る事としましょう。

大君の 命畏み 於保の浦を 背向に見つつ 都へ上る


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自作自演詐欺のネタ晴らしするなら、於保の浦が出雲の地名という訳ではありません。
一説に拠れば飫宇(おう)の海と同一、そうなれば現在の島根県の中海の河口近くの事となりますが、岩波萬葉集では不詳と解説されてます。
で、何が出雲?
作者の安宿奈杼麿が出雲掾の官職にあるものなんですよ。
天平勝宝8年(西暦756年)11月8日に、讃岐守安宿王らが奈杼麿の家に集まった時に、ホストが先ず最初に詠んだ歌がこの4472という事です。
守ってのは国主ですから一等官、それに対し掾ってのは三等官、けどまあ、必ずしも二段落ちる存在かといわれればさらあらず、その力関係はケースバイケースだったことは、歴代の大河でも描かれてるとこです。

さて歌ですが極めて明快ですから、解説不要でしょう。
兎も角、大君が畏い存在で一等官も三等官もない、と。
だから出雲には背を向けて都へ上るという訳です。

神の世界と人の世界とでは流れの方向が逆のようで、ってことでお後がよろしいようで。

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