孫夫人 (中国・三国) - 三国志主役二人をきりきり舞させた弓腰姫 ~ 陳舜臣・秘本三国志より
祥月命日 サディズムに花束を! 陳舜臣 秘本三国志 孫夫人 (中国・三国) - 三国志主役二人をきりきり舞させた弓腰姫 孫権の妹にして劉備の夫人 孫夫人 兄二人を持つ末妹 弓腰姫 最上御前 文藝春秋 齋藤杏花 (さいとうあんな) の BLOG 齋藤杏花 (さいとうあんな) 齋藤杏花
あん?amazonの商品表示では『文春文庫』となってるけど、これ、どうみても文庫本じゃない、紛れもなく…
おっと、のっけからイミフな独り言、後からゆっくりご説明いたします。
さて急速に秋らしい気温になってきた今日は26日、またしても亡祖母の命日が巡ってきました。
去年が七回忌でしたから、これで丸七年、八回目の祥月命日ですわ。
けど、別に何をする事もありません。
死んだばぁばの気性を慮って、ある時から敢てまったくスルーするようにしてます。
そう、しつこくやってたら「死んだもんにいつまでもかかずりあって、アンタたち何やってんのよ?!」と怒鳴り声が飛んできそうですので。
それ故、齋藤杏花 (さいとうあんな) の BLOGに記録するにとどめて置きます。
んで噺なんですが、今日は『サディズムに花束を!』の復刻です。
そうだなあ、先に、ずばり、復刻稿を出してしまうことにしまいすわ。
出ました~兄二人を持つ末妹!!!!!孫夫人 (中国・三国) - 三国志主役二人をきりきり舞させた弓腰姫(2006年)
孫尚香というのは演劇上の名前であるようだ。
昔の女性にありがなことで、この女性もまた本名は不明である。
でも彼女に限ってはそれでも十分であろう。何せ孫権の妹であり、劉備の夫人なのであるから。
弓腰姫…
非常に武術に長けた女性であったという記載は、どの記録にも共通だ。
そして気性も激しい、そのせいで当時としてはとうがたった年齢である23歳までは縁がなかった。
縁あって劉備玄徳の後妻に納まる彼女、政略結婚である。
まあ、女傑嫌いの作者・羅貫中により演義では、つまらない人物、下世話な言い方をすれば体育会系バカに描かれる孫夫人であるのだが…
論者が見る限り、そんな人物には読めない。そこで本稿副題があるのだが…
少なくとも、後世日本の類似事例、家康後妻となった太閤秀吉の妹・旭姫とは天地の差がある。
同じ創作でも、より史実に近い形に検証して書かれている陳舜臣・秘本三国志あたりでは、彼女登場の場面は以下の如しだ。
周瑜より政略結婚を献策された孫権は、腹の皮をよじって笑い転げる。
「アレをか? 玄徳もさぞや手を焼くことだろうて」
瑜に窘められた権は妹を訪ね、嫁にいかぬかと持ちかけるのであるが、彼女の反応はこうだ。
「誰? 兄さんの部下なら御免だわ。だって謀反でも起こさない限り、兄さんより偉くなれないんだもん」
「ははは、違うよ。ちょっと年はとってるんだがな」
「どうやら劉備玄徳のようね。面白いじゃない」
「ほう… どうしてだい?」
「兄さんと劉備はいっしょに荊州を攻めたじゃない? 土地は兄さんの方が余分にとったかもしれないけど、人は皆、劉備についていっちゃったじゃないの。どんな男だか興味ある」
…絶対口にしてはいけない言葉だ。勿論後のほう。
兄がそれこそ命がけでしてのけた荊州攻略を全面否定してしまってる。人間の存在価値自体をぶち壊しているとでもいえばよいか?
偶々孫権が大笑いの直後だったからよかったものの、当時かの地の世間相場に照らせばその場で斬り殺されても文句が言えないところだ。
しかも、(政略のための重要駒であるから)絶対に斬り殺されるないと計算しての発言であることが小面憎い。
兄妹だから許される『兄いじめ』といったところであろう。
繰り返すが、論者もまた兄二人を持つ末妹…
この"また"は、当時例の渋谷兄妹バラバラ殺人事件に凝っていた事に起因します。
さてそれはさておき、上述本文中の引用記述なんです。
陳舜臣・秘本三国志、ばっちり出てきたっしょ?
そうそう、冒頭画像の非文庫のオリジナル本全巻が我が家にある訳です。
秘本三国志、話が少々進むに、いよいよ弓腰姫が劉備に嫁ぐ場面に至ります。
ねえ?ある意味間者の花嫁、我国の伊達政宗の最上御前同様、好きあらば花婿の首刎ねて呉に持ち帰る気概で初夜の寝床に付くに…
「お仲は相当およろしいようですよ」
翌朝のお付の侍女達のひそひそ話。
そうでした、武道一筋で色には疎い孫夫人、老練な玄徳によってすっかりメロメロにされ、一夜にして(実家呉にとっての)敵対勢力に変じてしまうのです。
それにしても、何で侍女風情が閨房の中の様子を?
ほら、昨日はなしたじゃん。
かの国の奇習のおかげで、耳など欹てずとも丸聞こえ、あはっ!
------------------------------【当日追記】----------------------------------
投稿しちまってから泥縄的に調べてみるにです。
祥月命日は翌年起算との記述を見つけました。
だとしたら8回目の忌日は7回目の祥月命日ということになり、本文記述は誤りということになります。
事実とすれば、私のばぁばは2017年9月26日に没しましたと、申し添えます。