春にさきがけ (マゾヒズムの花札を!) ~ 命を掛けた遊びねえ…ま、高々鞠遊びがあれほどまでに珍重されるんですから、それもアリでしょう

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昨日の居待月が一番はっきり観られました。
陽が沈んでも30℃を下らぬ中ベランダに出て眺めるに、右の方の土星までもが目腐りにもくっきりと。
多少は和む事ができました。さて今晩の寝待月は?

それにしても昨日は参った、朝っぱらから80億総白痴化ツールに引っ掻き回されちまいましたよ。
そ、冒頭画像でお分かりのとおり、野球の大谷翔平が大リーグ史上初の50本塁打50盗塁を達成したとのことです。
この日の大谷はバカあたり、リアルタイムで眺めてるあれよあれよという間にやっちまいまして、はい。
まあそんな訳で、微塵の関心もない齋藤杏花(さいとうあんな)もご相伴する羽目になった訳です。

正直、てか正直に言わずとも気に入りません。
まるで人類史上に大貢献した偉人をもてはやすが如き…
ですから所謂経済効果に相当する金員が分配されるのはいいんです。
問題は偉人扱いですよ。よく考えてさ、鞠遊びですよ!どうかしてると繰り返すのみです。
「功ある者には賞を与えよ」
噺したばかりでした。

勿論、Xも舞い上がってるもんばっかじゃないですよ。
冷ややかな感想を述べてるユーザーもいました。
時折話題にするりかちゅうって面白えネーチャンもその一人です。
見つけた私、コンタクトをとってみたんですけどね。昨日は反応がありました。
何々?(齋藤杏花(さいとうあんな)が)時折平安の事を書いてる人?やっと繋がった?
うーん、私、平安の事書いてたかな?
てなわけで思い立ち、『マゾヒズムの花札を!』を見繕ってみました。
季節は違いますが、これが文句なしの平安時代です。

春にさきがけ

2006年02月01日 07時25分15秒 | 梅 - 2月

梅
えー、一年で一番寒い日が続く新暦2月です。
梅が花札の2月になりますね。
梅の花は他の花に先駆けて真っ先に咲く、春の訪れを感じさせる植物ということで、これも縁起物とされます。

ところが北の地方では、梅も他の花々もあまり開花時期に差がない、
三つの春が一遍にやってくる、と言うことで三春という地名があるでしょう?
ここで、北の住民が梅の花を愛でたという徴を、紹介しましょう。

奥州藤原氏より前の時代に北方に勢力を構えていた豪族に安部氏があります。
貞任、宗任ら兄弟の代に滅ぼされることになるのですが、これは宗任が捕虜として都に引きたてられた折の逸話です。

とある一人の貴族が、梅の花を見せて、これが何か知ってるか? と問いました。
夷、山猿、野蛮人、と馬鹿にしたわけですね。
と、間髪を入れず返ってきたのがこれ。


  わが国の 梅とはみえね さざなみの
    大宮人は いかが云ふらん
        (呼ぶらん、とも)


これは梅です。春に先駆けて咲くといわれますね、我々雪深きところに住むものも、この花の開花に遅い春の訪れを感じて楽しんでるものです。
都のかたがたはさぞや雅な言い方をするのでしょう、なんというんですか、教えてください?

と、この言い回し、



命を掛けた遊び

を丸写ししました。
いや、丸写しじゃないな。



たまにゃ他ジャンルのテーマに出向くか

を見て、ちゃっかり推敲して無断転載したから…

………
………

わああぁぁぁぁ!!! ミユ様! ごめんなさい! ごめんなさい!!
また、パクってしまいましたぁ!

いけない僕をイヂメて、イヂメて!
もっと、イヂメて~!!

    (;`Д´)/ヽアー/ヽアー!!

んと、『目指せ!! 平成の女蜀山人!』の原典を併せ復刻するんでしたね。
二つとも見つかりました。続けていきます。

命を掛けた遊び

2005年05月14日

(既出 反転リンク参照)


たまにゃ他ジャンルのテーマに出向くか

2005年09月05日



    年を経し 糸のみだれの 苦しさに 衣の館は ほころびにけり
 

今東光
えー、中世の戦場における連歌ですか。
前にご紹介した『蒼き蝦夷の血』の一節をご紹介しましょう。

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 この時の合戦で八幡太郎義家と貞任の出合いが美しく語り伝えられている。どちらもこの二人は相手に望んでいた好敵手だった。屡々、戦場で顔を合せながら水入らずで闘う機会がなかった。衣川柵が怒濤のような大軍に踏み潰されて、貞任がわずかの従者と共に厨川へと落ちて行くのを見かけ義家はきりきりと強弓に矢を交えて貞任を覗いながら
 年を経し 糸のみだれの 苦しさに
と呼びかけると吃と振りかえった貞任は
 衣の館は ほころびにけり
の下の句を返したので「優にやさしき奴」と見遁したというのである。
恐らくこれは物語作者のつくり語かもしれないが、少くとも安倍氏の一門には歌詠むすべを知っているほどの教養があったことを知らしめる。宗任が捕虜となって上洛し、公卿の嘲りに和歌をもって報い生半可な公卿を赤面せしめた物語と一般、都人が軽蔑していたほど蝦夷は無教養で野蛮であったとは言えないのである。

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ええ、昨日一昨日、私、毒舌・今東光和尚の資料を読み返してたのですよね。
その中に出てたんです。
和尚がなくなったあとの弟・日出海氏の回想が。
「兄貴は悪口は言うが人は憎まなかった」

日本語版プレーボーイ誌。
昔の青少年は、これに夢中になったそうですね。
当時は超貴重品だったヌード写真が毎週拝めるということで。
でも、もうひとつウケてた理由があったらしいんです。それは東光和尚の人生相談の連載があったから。
いや、こっちの方が目当てだった人も少なくなかったようです。

はい、ここにも古い書き抜きがあります。
ネット上でもときどき見ますよねえ。「『雪国』も『伊豆の踊り子』も全部糞」ってヤツ。
ありとあらゆる創作は作者の精神的排泄物、ってまあ、目新しい話でもないのですが、なぜ和尚はこんな汚い言葉を使ったのでしょう?

箇条書きにしてみますか。

① 文学者志望の青年からの相談であったこと。
② 青年がかなり行き詰まりを訴えていたこと。
③ 当時の作X家は(創作の行き詰まりから)自殺することが多かったこと。事実、川端康成も。
④ 東光和尚自身も作家であったこと。
⑤「糞の製造元」康成と和尚は非常に仲が良かったこと。

という理由から、「俺も川端康成も糞を弄んで悦んでるような人種だからあまり有難がるな」の回答がなされたと思われます。
これも再三くりかえしてる、時代と背景を元に戻さなければ正しく理解できない、の一例です。

さて、『極道辻説法』、いまでも入手できるようですね。

以上、散らかすだけ散らかしてしまった書籍類の片付けにかからなければならない ミユ の極道情報でした。


そうだったのか…
と、自分でも忘れてたってか、思い違いしてたってか、ともかくそんな事に気付いて一人ごちてるとこなんですけどね。

先ずは、命を掛けた遊び。
私ゃてっきり、百人一首のあのうたくらべの事を書いたんだとばかり。
元々が安倍宗任でよかったんでしたわ。
替りに、この際ですから『しのぶれど vs 恋すてふ』の方を復元しておきましょう。

札も2枚貼り付けたゾ

2005年06月28日



  恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ 思ひそめしか

拾遺和歌集<恋一・六二一>・壬生忠見



  忍ぶれど 色に出でにけり わが恋は 物や思ふと 人の問ふまで

拾遺和歌集<恋一・六二二>・平兼盛




壬生忠見&平兼盛
ここで、また有名な百人一首こぼれ話を持ってきましょう。

拾遺和歌集とは逆順41&40番で収録されている、この二首は、「天暦(テンリャク)の御時(オホントキ)の歌合」の折、「初恋」という題で詠まれたものです。
どちらも優れていて勝負が決められなかったのですが、帝が「忍ぶれど」と吟じたので、それで兼盛ということになったのです。
うーん、後世の評価は逆転ぎみなのですがねえ。
やっぱり、その場では始めの部分のインパクトが大いに印象づけられますか。

敗れた忠見は悶々とした日々を送り、そのまま死んだとも。
当時の貴族にとっては遊びが遊びでなかったのですね。

さて、今様電脳貴族の、このミユ様。
遊びは遊び、の大原則どおり、楽しんでblog運営をしてますでしょうか?
ええ、そうですよ、と胸を張りたいとこですが、時々自信がなくなってしまうこともあります。

まー、性分ってやつですか?
わかってても、あれもこれもとムキになってしまうことがあるのですよ~。
どなたかがおっしゃってましたねえ。
「個人的には、自HPのコンテンツ失うのが嫌で必死になってる管理人っぽくて、ちょっと萎えるが…」
おそらく全く違う意味でおっしゃったのでしょうが、それこそ個人的には (お遊びサイトなんて) あんまり真剣にやるものじゃない、という意味に受け取って、ムキになったときの自戒にしようと思います。

って、皆さんには何の関係もない話でしたね、あはっ!


そうなんですよ、って何がそうなんだ?、ま、兎も角そうなんでした。
ネット人たるこの私がサイト始めた理由が、この命を掛けた遊びだったんでしたわ。
そうした意味で、意外な事に私、万葉集の飛鳥時代を書く人というよりもむしろ、平安を書く人で正解だったのかも知れません。
確かに命がけのお遊び。

何せ受験生が9月までこんなことばっかやってたんですから、あはっ!

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