神功皇后 (オキナガタラシヒメ) - 2世紀初頭海を渡った猛き皇后 ~ 史上最強妊婦登場!日本は絶対に男尊女卑の国ではない
懸けまくは あやに畏し 足日女 神の命 韓國を 向け平らげて 御心を 鎭め給ふと い取らして 齋ひ給ひし 眞玉なす 二つの石を 世の人に 示した給て 萬代に 言ひ繼ぐがねと 海の底 沖つ深江の 海上の 子負の原に み御手づから 置かし給ひて 神ながら 神さび坐す 奇魂 今の現に 尊きろかむ 天地の 共に久しく 言ひ繼げと 此の奇し御魂 敷かしけらしも 万葉集 万葉の人々 万葉のこころ 犬養孝 男尊女卑 神功皇后 齋藤杏花 (さいとうあんな) 齋藤杏花 造幣局 政府紙幣 神功皇后 (オキナガタラシヒメ) - 2世紀初頭海を渡った猛き皇后 三韓征伐 サディズムに花束を! 鎮懐石 齋藤杏花facebook Facebook 筑前国怡土郡深江の村子負の原に、海に臨める丘の上に、二つの石あり
今日は大相撲秋場所の初日になります。
平素はTVなんか殆ど視ない齋藤杏花 (さいとうあんな)が釘付けになるのがこの、2ヶ月に15日間の期間でしてね。
ま、お相撲は折に触れてという事で、今日は過日の積み残しを片付けてしまうこととしましょう。
神功皇后のお札、あ、冒頭画像ね、んなんがあることは知ってました。
何てったって2世紀の人物の肖像が残ってる訳でなし、苦慮した政府が造幣局の女子職員でお面のいいのをモデルに作ったのは割と知られてます。
知られてないのが造幣局。
今の造幣局ではお札は刷ってない、なぜならばお札ってのは日本銀行券ですから。
ところがですよ。
最初、明治初期には政府紙幣ってのがあったんですよねえ。
神功皇后紙幣はこのパターン、こっちは今調べて知りました。
今調べて気付いた事って言うなら、2006年にやってた『サディズムに花束を!』に神功皇后の投稿をした事があったんですわ。
過日はすっかり失念、以下に復元するところです。
神功皇后 (オキナガタラシヒメ) - 2世紀初頭海を渡った猛き皇后(2006年)
前2稿を請けて、三韓征伐の女傑を論題としよう。
とは言ってもお馴染み『神功皇后が卑弥呼だったか?』ではない。
サイト趣旨に従い、あくまでも女性視点のフェムドムの切り口から論じたい。
記紀等によれば、皇后はお腹に応神天皇を妊娠しているときに、神のお告げを受け朝鮮半島に出兵したということになる。
キーワード、妊娠、神のお告げがここにも登場しているのだ。ジャンヌダルクの稿で意識した。
そんなかやで大車輪の活躍をした、この神がかりの妊婦は見事三韓征伐を成し遂げる。
で、俎上に上げたいのは、新羅王を馬飼いにしたというエピソードである。
自らの馬飼いにするとなれば…
と、副次的な話から進めよう。
轡を取らせる… これは家来を臣属させるときに用いられる手段だ。
有効な手段と言えよう。露払いに上から相手を見下ろすというファクターが加わる。
SMプレーでもこの物理的にも上にくるというのが重要な要素になる。特に女性がSになる場合は。
過去投稿で取り上げた、人馬や人間便器を思い出して欲しい。
いずれも男女の体格差で本来的には下になってしまう女性が男性の上に来ている。
話を元に戻せば。
男性に轡を取らることを好む女性がいたらば、彼女はS的性向が強いものと考えてよい。
さて、ここまで回り道をすればよいか? 副次的な話ではない主論に入ろう。
国王、馬飼い… 当時の価値観に直して新羅王の心底を考えてみよう。
国王たるものが馬飼いを志願することを余儀なくされるというのは、死に勝る屈辱ではないか!
そして、神功皇后が一国の王を馬飼いにまで貶めたこの心底。将しくサディズムに他ならない。
繰り返すが、当時の価値観による職業ステータスである。
まあ、現代でも女上司ものというのは人気があるのであるが、間違っても神功皇后三韓征伐と同列においてはならないだろう。
なんとなれば、現代の職位関係は。
ひとつには、人間みな平等の建前の元になされた上下関係であること。
そして今ひとつには…
真のドミナントは組織そのものであること。
でー、です。
何を隠そうここまでは、噺の枕なんですよ。
そうそう、今日は日曜日で万葉噺の日、そのパターンは崩してませんよ~
つーことで、万葉集に神功皇后?
こうくるわけです。
あります。
巻五813-814、反歌付きの長歌です。
懸けまくは あやに畏し 足日女 神の命 韓國を 向け平らげて 御心を 鎭め給ふと い取らして 齋ひ給ひし 眞玉なす 二つの石を 世の人に 示した給て 萬代に 言ひ繼ぐがねと 海の底 沖つ深江の 海上の 子負の原に み御手づから 置かし給ひて 神ながら 神さび坐す 奇魂 今の現に 尊きろかむ
(反歌)
天地の 共に久しく 言ひ繼げと 此の奇し御魂 敷かしけらしも
天地の 共に久しく 言ひ繼げと 此の奇し御魂 敷かしけらしも
そこそこに長い長歌、更には長い詞書が付いてますが、これは冒頭のみにとどめましょう。
~筑前国怡土郡深江の村子負の原に、海に臨める丘の上に、二つの石あり~
つまりは、三韓征伐に関する石碑の歌ということなんてすわ。
怡土郡、これはその後隣接の志摩郡と合併して糸島郡になったわけです。
詞書の他に左注があり、このエピソードを伝承したのは那珂郡伊知郷蓑島の人、建部牛麻呂である、との旨が記されてます。
うん、早くに消えた同じく現代の福岡市の地名ですわ。
で、後先になった、この歌の作者は?ってことになりますね。
一番最初、目録に山上憶良が鎮懐石を詠んだ歌とありますが、一応は作者不詳とするのが通例です。
長くなったこの稿、最後にプラットホームであるseesaaBLOGの制約でオトすとしましょう。
ここって、2カテゴリ投稿が出来ないんですよね。
いつもだったらカテゴリをどうするかで詰まるものなのですが、本稿は逆、
万葉カテと佐渡花カテにどっちにおくかで悩みました。
タイトルや記事アイコンで捨てた後者をしめしてます。