麻原彰晃七回忌!!!!! 未だ彷徨うその遺骸。『死してなお 動かす力 ある遺骨』

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思えばあの日は?
今年みたいに猛暑でうだってたか?はたまたあまりの衝撃に背筋が寒くなってたか?
最早覚えてません。
それほど昔の話になってしまった、かの処刑です。
つーことで、よくも悪しくも20世紀屈指の傑物・麻原彰晃の死から丸六年の経過する日、七回忌が巡って参りました。

先立つ2日の日のことです。
ショーコー遺骨の引渡しを巡る行政訴訟の控訴審が東京高裁であったというのは。
ただ一言、魂消ました。よもや国が控訴してまだすったもんだしてたとはねえ!
前回、否、前々回の方が近いか、に、いったとこの繰り返しになるばかりですので、もう言いません。
どうぞ、ここクリックしてお読み下さい、お読みいただけたとして噺を進めます。
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七回忌を期に、ここで、処刑に至った経緯を思い出します。
そうでした。やる前、強制捜査開始前からマスコミが裁いてしまってたんでした。
そんなもんで、判決文はというなら捜査前に出された週刊誌別冊特大号そのもので、卑しくも近代国家足りうるものがこんなお粗末なプロセスで人一人の命を奪うものか?!と憤りを覚えたものだったんでした。
そして、実際の死刑執行…

天皇家の代替わりの前に厄介な遺物を片しちまおうって意図がありありのでしたね。
まあまあ一糸乱れず粛々と。
商売になるもんで全面協力した江川や滝本はこの際いい、問題は守備範囲外の政治の世界です。
因果応報カルマ返しで、最高責任者たる安倍晋三はその後、衆人環視の前で処刑されることとなりました。
が、担当管轄で判子押した上川陽子は生きてます。
否、それどころが、現在外相として時期総裁候補に名前が載るまでの羽振りです。

何なの~?オウム残党からの報復で危険だから、一生涯護衛をつけなければならないって話じゃなかったの?!

かつての江戸期、ひとつのプロジェクトの都度奉行がひとり腹を切ることになるのが通例でした。
その過酷さがあったからこそ長きに渡り太平の世を築く事が出来たんでしたよね。
ここまで言えば後は言わずが花。

ここで筆ならぬマウスを置く事にしましょう。

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