ネットにおける集団サディズム ~ マスゴミは金にさえなるなら後は野となれ山となれで仁義なしの報道をするのか?2題・前編
ネットにおける集団サディズム マスゴミは金にさえなるなら後は野となれ山となれで仁義なしの報道をするのか? ツアーバス事故死 尾木直樹 広瀬爽彩 再調査委員会 いじめ被害を主な原因とする自殺だった フロイト 自殺の原因 齋藤杏花 (さいとうあんな) 齋藤杏花 死の本能 マスコミ造語 学校内の犯罪行為 子供の自殺 純然たる意味でのいじめは生物の群れでは必ず生ずることで避けられない事 サディズムに花束を! 生物の持つ攻撃本能が外に向いた状態がサディズム 逃げ場を作るしか有効な手立てはない
久々にTVで見る顔です。
大学生のツアーバスの事故死以来じゃないのかな?
この顔にピンと来たらばでそうじゃないかと思ってたら、やっぱ、そうでした。
何だか分かりませんよね、否、テロップ付き画像を持ってきたから分かるか?
数日前、例の旭川の中2女子生徒の凍死事件に付き、再調査委員会が2年前の調査結果を覆したとかが報じられてましたが、その際に件の尾木直樹氏を見る事になりました。
この人もいつだったか北海道で起きた小学生不明の際に、とんでもない目すりをして以来勢いが悪くなってましたが、これで健在ということがわかりましたね。
で、です。
その逆転調査結果ってのが何かというならですよ。
故・広瀬爽彩さんのの死は、いじめ被害を主な原因とする自殺だった、と。
ここで齋藤杏花 (さいとうあんな)が何て続けるかは、常連さんならお察しの筈、
そうです、そうです、気に入りませんねえ、何もかも、でございます。
自殺の原因?
繰り返すもバカバカしい、生物の持つ死の本能に決まってる、んなこたあフロイトの頃から分かってることです。
この手の原因付けが強いて必要となるのは、例えば生命保険屋、躁鬱病による病死としなければ保険金がだせないとか、或いは当局、役場流の書類を作らなければ行政の秩序が保てないとかの、大人の事情ですわ。
それを2年もかけてああだ、こうだと手間隙掛け、死人にかんかんのう踊らせ続けて…
やりきれなさを覚えるばかりですよ。
更にもう一段、いじめっちゃなんなのさ?
これって完全なマスコミ用語ですね。
分析するに、マスコミが読者をひきつける為、3つの異質なものをミソクソにしてセンセーショナルに報じるべく、作り出した造語です。
その3つとは、純然たる意味でのいじめと、学校内の犯罪行為と、そして子供の自殺です。
順に行くなら、純然たる意味でのいじめってのは、これは避けられないことですよ。
つまり、人間は勿論のこと、あらゆる生物の群れるとこには必ず生じることです。
これまだ復刻してなかったんだ。
いえいえ、その昔、『サディズムに花束を!』に書いたことがあるのを鮮明に覚えてるんですよ。
行きましょう。以下復刻です。
ネットにおける集団サディズム(2006年)
鶏は残酷な生き物で血を流している仲間がいると全員で突付いて殺してしまう…
とある財界人が、このフレーズを基に著書を著している。勿論人間行動についてだ。
一言で言えば集団サディズムということになるのだが、ネット巷間において件の顕例行動を多々見ている論者である。
過去稿において「絶対悪・スパム」を論じた。
話は後先になったのであるが、先に論じなければならなかったのは、もっと前から用いられている用語である「荒らし」の方であろう。
果たしてどのような意味なのか?
この言葉を好まぬ論者がたった一度だけ使ったときは、管理する掲示板に違法広告を貼られたときのことをイメージした。
だが、これは一般的に用いられている用例からは距離がある。普通言われている荒らしとはもっと曖昧模糊とした意味であることは付け加えるまでもなかろう。
結論めいたことを言えば、つまるところ荒らしとは、「荒らし」と名指しする人間の気に入らない言動のことに過ぎないのである。
元より客観的な判定尺度などありえない。
そうであろう?
違法性があるとか、その他社会規範に反行する言動であれば、その旨を具体的に指摘すればよいだけだ。それがないものだから、「荒らし」などと声高にまくし立てなければならないのである。
『空気』ってのは何なのであるか!?
誤解なきよう念を押せば、あくまでも普遍的一般的に語義を述べるという前提の基の『結論』だ。
そこで「絶対悪・荒らし」に話が繋がるのである。
拵えたものだと承知の上でならいい。例えば、掲示板群サイトの運営陣のように。
だが、本気でそんなものがあると信じて「荒らし」「荒らし」とまくし立てるとなると…
そういった連中の行動心理は、ちょうど10歳内外の女児が意地悪するときのそれだ。
ほら、あるであろう? 「何々ちゃんは嫌いだから皆遊ばないようにしようね」
いや、決して侮ってはならない。
幼いが故の残酷さ、男性よりも女性の方が残酷なことを平気でする、何度か論じているとおりである。
それが証拠に、大の大人が平気で「荒らし云々」と口走る、「荒らしが入ってきたときは全員で撃退するシステムを開発しました」などというSEが出てくる。
児戯がそのまま共通認識(めいたもの?)となっているネット空間なのである。
「鶏は…」
魔女狩りという有名な史実がある。
閉鎖空間における集団ヒステリーの典型なのであるが、オープンなネット空間でこれが繰り広げられるとは?
やはり、ネットを閉鎖空間と錯覚している向きが多い証拠なのであろう。
生物の性ってことで、どうしても避け得ない、ということであるなら、逃げ場を作るしか有効な手立てはないでしょうね。
逃げ場がないものほど嵌り易いってことで、また学校の問題に繋がっていくのです。
今日はここまでにしときますか、この先は明日にします。
話半分まで…
も、いってないんですけどね、あはっ!