予めお断りしておきます。本稿はさんざっぱら手間をかけたのですが、極めてアメリカンな内容になってしまいました。ウヌ、ツイッター改めXノ野郎

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六月四日は語呂合わせで、虫歯予防デー!
はスルーで噺に入りましょう。
これが、おらほうの富士見スポットです。
確か1月ほど前、電線の向こうに心霊写真のように雪の富士が見えてた時の画像ですが、ごらんの通り私の腕では到底追いつきません。
んで、何をお知らせしたいか?これまた事あるごと繰り返してるよう、おらっとこは元々は半農半漁の集落で海っぺりだというのに、案外と地形の高低があるのですわ、これ。
実はね、近隣のアパート取り壊して同時に空き地になってた同じ一角のゴルフ練習場とあわせ、大工事やってる光景をupしようかと思ったのですが、身バレ恐れて自重したとこなんです。
その一角とて我が家の敷地と同じ盛り土になってたんですが、派手に突き崩し、そしてまた盛ってで、一体何を考えてるんでしょうかねえ?
当分この訳ワカメが続き、また知らぬ言語吐く面々が生活圏を闊歩すると思うと憂鬱になるところです。

訳ワカメというならなんてったってXが群を抜いてますよ。
あ、システムと利用者、両方を意識してます。
ホント、twitterの昔からまったく変らず、さりとて今日日使わなければこのBLOGの記事の宣伝をすることが出来ないもので、いやいや使ってるとこですが。
件の@MR_DIECOCKを巡るごたごたが尾を引いてる次第です。
再三の垢入れ替えで齋藤杏花 (さいとうあんな)自身が訳ワカメになってるとこでありましてねえ。
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おかしいなあ。
某国営放送大河ドラマ『光る君へ』に関するポストで少し面白いのがあったので、本稿のネタにしようと思ってブックマークしといた・
積もりだったのですが、行方不明になってしまいました。
或いは何か支障があって削除されたのかもしれませんね。
只で出すのが惜しくなったとか。
見たその場でせめてもTEXT保存掛けとくべきだったんでしたが、有料の長文がそれを躊躇させました。

仕方ありません。
記憶にある限りで書くしかない、
かの有名な藤原道長の望月の歌、
この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば
の解釈でした。
広く一般的にされてる摂関政治 (批判) の真っ向否定です。

ドラマ開始の頃から、多くの専門家と称する人たちが道長は決して傲慢な人柄ではなかったの旨記してますが、件のポストはその代表歌からの推察です。
この歌には寓意がある、譬喩歌であると。
即ち、世に夜を欠け三后を月に見立て娘の入内を素直に喜んでるだけ…
続けて比較の為の漢詩があげれられてましたが、それを失念、探してもついに判らずで終わってしまいました。
全く知らないものだったならよかったのですが、なまじっか少しは記憶にあるものだったもので始末の悪いこととなってしまいましたわいな。

去年の『どうする家康』と同様、歴史上の有名な人物の新解釈を描く作品、
すなわち、家康が道長に置き換わって、方向は逆、王子様を巡る女たちの視線から見た新人物解釈…
既に、私、初回をみたあたりからいってたんですよねえ。

それが、その後の、あまりに漫画チックな展開のせいで、すっかり忘れてしまったって訳です、あはっ!

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