裁判は究極のSMショウ? ~ 18年の時を経て袴田事件再審の求刑がされた今、ここに復元します


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白単色なのにカラーとは是如何に?
今日のアイコンはこれで行きましょう。
幸いな事に心配してた台風の影響を受けることなく今日はマリンピアに行けそうです。
さわやかな事ばかり…

ではないんです。
昨日、Xに名称変更になってから初めて、垢ロック喰いましてね。
ですから政治ネタはガラじゃない、それで(本BLOGの)入りも今ひとつ、つーことで少しアツくなり過ぎました。
確かにこちらにすれば不可抗力なことで、そのくせ大いに影響を受ける東京都知事選ですが、なるようにしかなりません。
もうクビ突っ込むのはやめときます。

心中穏やかでない時は、新たなものに手をつけないほうがいいですね。
『サディズムに花束を!』の復元でお茶濁しましょう。
幸いな事に、最も得意なオウム関係が、まだ一番重要なのを復元してませんでした。

裁判は究極のSMショウ?
(2006年)

偶には時事問題を挟もう。

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オウム真理教の麻原彰晃こと松本智津夫被告の死刑確定の可能性が強まったようだ。
ひどい話である。
仮にも人一人の命の懸かっている法廷の場が、法曹の駆け引きの場に利用されていいわけがない。
もとより、所謂オウム裁判においては、裁判とは何かと疑わされる傾向が強かった。
例えば、死刑が確定したある被告の判決理由など、逮捕前に出ていた週刊誌の特集号そのままという感じだった。
こんなことで人の命を奪ってよいものであろうかと疑問に思っていたのだが、今回の東京高裁の決定で来るところまできてしまったかと憤っている処だ。

断っておくが、論者は死刑廃止論者ではない。
光・母子殺害事件などを見る限り、死刑制度は存続すべきだと考える。
だからこそ慎重が上にも慎重でなければならないと言っているのだ。
人が公権力を使って人の命を奪うのである。一切の感情の介入は許されないのだ。

裁判は究極のSMショウだなど発言している人を見たことがある。
不謹慎な話だ。なによりも大間違いだし。

勿論心の中でそう思うのは自由だ。
何人の人を殺しても全く罰せられることのない世界で、滝の白糸の男女を置き換えて女性裁判官に裁かれる自分をイメージし楽しむマゾ男性を責めはしない。
だが、本質だけは誤ってはならない。人は間違いをする動物、その間違いが絶対にあってはならない司法の場なのである。

そこにリビドーの極とも言えるSMを絡ませた件の発言者にも併せて猛省を促したい。

ふん、まだこれ書いた時点ではショーコーの死刑は確定してなかったんでしたわ。
文中発言者とは誰のことか?それはご想像に任せます

それよりもこのタイミングでの復元について、少し膨らませてみましょう。
袴田事件のさいしん(掛詞)が再度死刑求刑であった、この時期といいたい訳です。
アー姐さんこと三女アーチャリー・松本麗華氏は、奥歯に物の挟まったような内容にせよ、いう事だけははっきり、検察批判してましたね。

完璧ダブスタの江川紹子や滝本太郎とは、果たせるかな明らかに温度差がありました。

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