さて。巷がお休みに入ったとかですので、ここは柄にもなく、漫画の噺でもすることにしましょうかね

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直ぐにこんな絵が拾えました。
ということらしいです。
なんなんでしょうかねえ?
毎度のことですが、祝日は休暇ではないし、それ故月曜の代休などというのはナンセンスの極みなんです。
そればかりでもなんですから、今日は土曜日の事を云いましょうか。

いつから土曜日が当たり前にお休みになってしまったんでしょうか?
宮仕えならいい、私が言ってるのはガッコです。
要するに教職員の都合に合わせてしまったってことですよ。
義務教育なんてのは、そうそう通学時間の掛かるものでもないんですから、通学時間の無駄をそれほど意識することもなく、半ドン作ってもそれほど不合理とは思えません。
土曜授業をする小学校が徐徐に増えつつあるというのは嬉しい傾向です。

さて噺行きましょう。
本BLOGを愛読頂けてる方のなかには、えっ?おめえ漫画は嫌いなんじゃないのか?と訝ってる方もいらっしゃると思います。
はい、そのとおりです。漫画なんてのは嫌いです。
けどまあ、親の世代と話をする際の共通認識としてある程度は漫画、この際MANGAと標記した方がいいのでしようね、を紐解く必要もでてきましてね。
どの世界においても、あたんめえだ、駄作もあれば佳作もある、私が嫌いなのはメディアとしてのマンガでしてね。
いくつかは例外として読んで、見るでなく、読んでおります。
その代表格が弓月(光さん)、これは主として紙メディアです。

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紙は全くは知らないで映像が好きなものはというなら、ドラえもんでしょう。
前にも触れたような触れなかったような…
ドラえもんは実父が小6の時にリリースされたのが最初で、主として好きなのが本BLOG常連の"誰かさん"なんです。
新宿ビレッジに『大人だけのドラえもん』(法律で18禁だった終夜興行)を観に行ったとのことです。
当時リリースされてた長編全五本が繰り返し上演されてた、会場挨拶に小原乃梨子さんとたてかべ和也さん、それに作者のAが来てたそうです。
そうでした、当時はまだ藤子不二雄が別々に描いてたとは発表されてませんでした。

その折のキーワードも不思議、"も"といったのはF追悼のトーク番組で同じくAが繰り返してましたもんね。
その折、不思議だけで満足してしまって得々と掘り下げの浅い持論を展開してたのが、政治に出る前の福島瑞穂ちゃんでした。
いやあ、違う、
ドラえもんの秘密道具は須らく失敗に終わるではないか。
そうだよ、前に話したふくびんコンビなんて。
折角便利な道具出しても、なんのことはない失敗率100%!
漫画の基本精神であるアイロニーこそ、ドラえもん人気の秘密…

なんのなんの、これも違います。
云って見ればこれは起承転結の起承、能の序破急の序破に過ぎません。さらに続けて、転結なり急なりがあるのです。
具体的にそれが何であるかは千差万別、只のナンセンスギャグだったり、或いはアイロニーだったり、より一段の美談だったり。
以前は、ボーナス1024倍でお噺ししました。
今日はモグラロボットの回でご説明しましょう。

のび太のパパが通勤のために駅の向かうのに時間が掛かって大変なのをみた二人は、モグラロボットを使って地下道で一直線に結ぶことを考えます。
ところが実際に地下道を行ったら上から土が降ってきて、背広が泥だらけになってしまった、
ここまでが、起承なり序破に相当する部分です。
さあ大変!青ざめて謝る二人にパパは「いいんだ、いいんだ。パパの事を思ってやってくれたんだから」
これこそがドラえもん漫画の魅力でしょう。
どんな結末になっても、そこに溢れてるのはヒューマニズムです。

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クレヨンしんちゃんは逆に紙メディアから入ったようで。
単行本の1巻から相当後の巻まで、どっか探せば出てくるはずです。
あれは青年紙の連載ですから、出だしは随分アダルトな内容でした。
それが映像に替り子供たちの目に止まるようになって徐徐に変質しだしたと。
まあ私が実際知ることができる年限に達した折は、ちょうど過渡期の軋轢期でした。
軋轢ね。
ひとつ例を挙げれば、橋本聖子ごっこですよ。
ん?みさえのセクシーショーツ (をスケート帽に見立てて) を頭から被るっての。
今はどこ探しても出てきませんが、テーマ曲集CDに抄録されてる曲(の歌詞)で確認できます。

そうそう。
一番の軋轢が、この「みさえ」。
父ひろしの口真似で、母親の名前を呼び捨てにするっての。
一時期、幼稚園のクラスの半分がそうだったとか。
流石に突き上げには勝てず、またしても徐徐に消えてはいったのですが。
一部に熱烈に支持する向きもありましたよ。
自分の子とは親密な関係でいたい、だからむしろ名前で呼び捨てにされたいって。
まあねえ。

なんでもちびまる子ちゃんてのの作者とCVが相次いで他界したと聞き及びますが、私はこのまる子ちゃんってのは見ません。
あんたっての。何か変なアクセントでこういう人がいるのを聞くんでしってるのですが、これがまる子ちゃんらしいですね。
親に向かってあんたなんてのは、みさえより酷いと思います。

しんちゃんはいいなあ?
なんで?
みさえは遊んでくれる。
これで目からうろこになった親がいると聞き及びます。
そう、五歳児にとっての一番の友人は母親です。
そうした意味でおいて、小うるさい齋藤杏花 (さいとうあんな)も、しんのすけの「みさえ」には擁護的で、また取りも直さずそれがクレしんの魅力に他ならないと思料するとこです。

冒頭言った事を繰り返せば、私自身は漫画は好きでなく、それ故、造詣がある訳ではありません。
ううん、違う、逃げ打った訳ではない、そういう事情だから新しいものはチンプンだって事をいいました。
それともう一つ。
こっちの方が肝心なのですが、子供たちも漫画をみることもないもので、そっち方面からの新情報はないどいうこてなのです。
ですから我が家では「あんな」も「あんた」も考えられないとこ、とんでもないとこなんですわ。
ひたすらおっかない存在、奴らが反抗期過ぎたあたりからは、さしずめ、あたしンちの母の様な煙ったい存在に写る事でしょう。
そうだ、あの作者『けらえいこ』さんていうんですね。
前にもいいましたが、私ゃずっと『えらけいこ』だと思って微塵も疑いませんでした。いやあ、仮名書きっちゃ案外読み違うもの。

「クマサン」で同様のひっくり返り間違いをしたら、これまたとんでもないことになりますけどね、あはっ!

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