今日こそウィーン・フィル ニューイヤーコンサート2024の噺をば。…うーん、暴論吐くには主語を小さくせねば。人種差別はあって当然と思います、齋藤杏花 (さいとうあんな)は差別と区別などという詭弁は弄しません
ウィーン・フィル ニューイヤーコンサート2024 ニューイヤーコンサート 紅梅 クリスティアン・ティーレマン 初演奏の曲を持ってくる事が多い ウィーンのボンボン ブレーキかけずに ボスコフスキー ウィーン生まれの男しか団員になれなかった純血主義 今昔比較すれば、まるで別物のようになってる ウィーン訛・ウィーン弁の音楽 月と金星 人種差別はあって当然 『差別と区別』は詭弁 齋藤杏花 (さいとうあんな) 齋藤杏花 土地モンと他所モン 京葉線ダイヤ改正 快速停車駅だから引っ越してきたのなら停まらなくなったら出て行きゃいいだけのこと くるまば草序曲のハプニング
月と金星の共演がみられるとの情報を目にしたんで早くに戸をあけたものの、見られたのは明けの明星のみで月未だ昇らず、
つーことで、えー、連日のお庭情報から。
気付けば、紅梅の蕾が赤く色づきだしました。
確か先シーズンは旧年のうちに早咲きしたのがあったんでしたね。
そしてあたってみれば、その前も。
となると今回はむしろ遅れてるの…かな?
なんか盛んに鳥が飛んで着てますから、蕾を喰っちまったんでしょうか。
余所モンの流れ者にはご用心、って噺は後ほどとしまして、お題のニューイヤーコンサートを噺しましょう。
今年はクリスティアン・ティーレマンが振りましたね。
2度目とか。うーん記憶がないなあ。2019年…
そうだ!臍のを切って以来60余年、一度も寝込んだ事のない誰かさんが、前年暮から正月に掛けて倒れて七転八倒してた頃だったんだわなあ。
がたがたしてて記憶にないのは無理からぬことです。
あれから5年…
お陰さまでその後、また全くの病人知らずの我が家に戻り、今年のティーレマンはちゃんと聴きました、
むしろ絶対に忘れない年になるでしょうね、何せ1/1の晩に放送がなかったんだから。
聴いてみて、解説でもいってましたね、回り持ちで降るようになった近年では指揮者が楽団と対等になるべく初演奏の曲を持ってくる事が多い、と。多分に漏れず、前半2曲後半6曲の計8曲が初演でした。
勿論お馴染みの曲もあり、
前半二番目のウィーンのボンボンなんてのは、晩年のボスコフスキー来日の時の一押し演奏の曲だ、ライブ録音でよく聞きます。
それから前半最後のブレーキかけずになんてのは、同じくボスコフスキー定年退職の年の、最後のニューイヤーで演奏されてた曲です。
…どうしてもボスコフスキーの話になってしまいますねえ。
まあそうですよ。
親の代からって事になれば、ウィーンフィル=ボスコフスキーのニューイヤーコンサートってことになってしまいますもの。
随分とまた余興も多く、今でも多くの録画を観る事が可能です。
どうでしょうねえ?
今昔比較すれば、まるで別物のようになってるニューイヤーなんですよねえ。
それは演奏自体の比較なら、相当お屠蘇の入ってる昔よりは、数段上のレベルかもしれません。けどね、色んなのを入れたために客席の質は落ちてますよ、
何ですか?くるまば草序曲で曲途中を終わりと勘違いして拍手しちまったの。団員が苦笑してましたね。
おっと脱線。
繰り返しますが、当時のウィーンフィルというのは今では考えられない純血主義、ウィーン生まれの男しか団員になれなかったのです。
ですから、洋の東西を問わず何かあれば『酒が呑めるぞ』の世界になってしまう訳です。
でもね、同じく最大公約数的感覚でそれが面白い、しかつめくさいとばかり考えられてきた一般人のオーケストラ認識をくつがえしたのも、ボスコフスキーの功績です。
いえいえ、女が面白くないとはいいません。けどね、色々な属性の者が混ざりこむと、集団というのはえてしておふざけがしにくくなるものなのです。
今のウィーン・フィル ニューイヤーコンサートは、普通の演奏会と何ら変わることがありません。
ウインナワルツ大全集の解説冊子の言葉を借りれば、ウィーン訛・ウィーン弁の音楽は絶滅してしまったというわけです。
ねえ?返して。無理と知りつつもまた純血主義に戻ることを期待してやまない齋藤杏花 (さいとうあんな)です。
ここでようやっと、タイトルの暴論に繋がるのですよ。
人類全員に平等に門戸を開かねば犯罪だなどという価値観が絶対的なものになれば、個性やら伝統やらというものが消え失せてしまうのです。
人種差別した、と。
けどまた余所に行けばこっちが差別されるのですから、不公平はなし、平等です。
ちらっと噺したか。窓からみえてたアパートの解体がいつの間にか何の断りもなしに進んでますが、明らかに容貌の違う、聴きなれぬ言語を吐く連中ばかりで進んでます。
私はいやだなあ…
不安で堪りません。
齋藤杏花 (さいとうあんな)の認識においては、人間は土地モンと他所モンの二通りしかいません。
そして誰がなんといおうが、この両者は厳格に別物として扱わねばならぬものと心得ます。
時に、京葉線のダイヤ改正で朝夕の快速・特別快速がなくなってしまうとのことで、ちょっとした騒ぎになってます。
クマ害、じゃないよ、変換し直して熊谷県知事以下、関係する自治体の長が東日本支社に捻り込んでますね。
でもね、なんか違うような気がするんですよ。
何々?快速停車駅だから引っ越してきた?
ああ、なら話は簡単です。
裏返し、停まらなくなったんだから出て行きゃいいだけのことです。
そうして貰えると、ホント、土地モンとするば大助かりです。