修道尼たち - 十字架上のキリスト像をみているうちにオルガスムスへ ~ いよいよクリスマス本番…ですがー、チトありまして

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今日は平日なんでよね。
週明けにしてゴミ出しの日というのを、こってりわーすれてしまい、投稿が遅れました。
25日が月曜ってのは、最悪の暦です。ま、色々。
さてさて、どなた方もメリークリスマス!
なのでございますが、ホント、チトありましてねえ。
思った以上に手をとられてしまってる齋藤杏花 (さいとうあんな)です。
それもありますし、うーん、この目出度い日に不向きな話題になりますので、お噺は明日以降に繰り越そうと思います。
つーことで、ここ2-3日より更に簡単、
用意しといた『サディズムに花束を!』復刻のみと致します。

修道尼たち - 十字架上のキリスト像をみているうちにオルガスムスへ

(2006年)

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うまいタイトルがつけられなかった。
これも女性のサディズム事例は名前の記録がないことが多いため故にと、寛容されたい。

さて、標記の事例はサディズムのうちで、視虐症と呼ばれるものである。
これは、男性のみでなく女性にも事例が多いサディズムだ。
何ゆえか考察するに、自ら手を下すことがないという保険が掛かっているためと思われる。
自ら手を下すことがないのであるから、反撃がない。腕力勝負で勝ち目のない女性にすれば歓迎するところだ。

隠し立てはしない。論者もこの傾向はある。
複数の場所で、魚介類の調理時にぞくぞくすることを暴露してきた。
これもネットの匿名性の恩恵と感謝するところだ。
論じたようにサド性向というのは人間誰しも大なれ小なれ持ち合わせている性格因子であるので、恥じるべきことではない。
かといって、積極的に晒すべき性質のものでもなかろう。

話を冒頭に戻して。
女性のサディズム事例に名前の記録が少ないのは何ゆえか?
当時の女性観? それもあろう。
だか、もっと大きな理由は、そもそも女性には名前自体がなかったことではないのであろうか?


女性には名がなかった…
少なくても記録される、
よしながふみ&ドラマ10『大奥』もその世界観でした。

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