豊臣秀次 - 些か影の薄い殺生関白 ~ ←の復元なんですが、入る前に先ずは日大アメフト部問題の顛末を

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先ずはね、一日投稿の日大アメフト部の顛末に触れておかねば。
当日、廃止が正式決定されるとの報でしたが、蓋を開けてみたら意外や意外、理事会での反対意見が多く結論が出ず継続審議になったとか。
そのせいもあってかなくてか、急激に人の口に上ることがなくなり、張り切って稿を起こした齋藤杏花 (さいとうあんな)は、大いにアテ外れとなってしまいましたて。
まあ、なんか本日4日、林理事長が会見やるとかなんとか、これにリベンジの機会を期待してアテにしないで待つとしましょう。

さて本BLOGですが、このとこ連日投稿が続いてます。
が。
正直筆者自身のトーンが落ちてます。
というのは、張り切ってあげた稿が、んなカンジでアクセスが伸びないもんでしてね。
気分屋の本領発揮で投げちまうかもって悪寒さえも…

てな訳で今日はお茶濁しにて堪忍。
『サディズムに花束を!』から関白秀次の記事を復元する事とします。
某『どうする家康』ではその最期が割愛されたって苦情が出てる、あの方です。

豊臣秀次 - 些か影の薄い殺生関白

(2006年)

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太閤秀吉の甥・豊臣秀次は残虐な振る舞いから、殺生関白(摂政関白のもじり)と呼ばれた。
にも拘らず、あまりそうしたイメージを受けない。
即ち、秀吉の方がよっぽどひどい殺生関白のように感じるし、冷血漢と呼ぶに相応しいのは秀次の妻妾をためらわず処刑した光成の方だと思えるのだ。
これは何故であろうか?

勿論、最後切腹させられたことへの同情も大きいだろう。
けど判官びいきだけでは説明はつきにくい。
ずばり、結論を先に言ってしまおうか。
秀次のもっていたサディズムが女性型サディズムであるから。論者のみならず多くの人々が指摘している。

即ち彼は、秀吉という大きな大きな権力に怯え続ける人生を送ることを余儀なくされた。
その反動反撃が、より弱いものへ向かうのである。これが女性によく見られるサディズム事例だ。
辻斬りを好んだ秀次、これとて刀マニアが講じた標準的な辻斬りではない。
弱い者ならやり返されることもないであろうという反撃心理だ。

過剰防衛だけは叔父太閤に似てしまったということか?
秀次が妊婦の腹を割くことを好んだことからも検証できよう。

論者も幼い頃…
いやいや、勿論妊婦の腹を割くまではしていない。
ぎゅうぎゅう押して回っただけだ。
この攻撃心理を今、第三者的に分析するに。
やはり、新しく生まれ出でる者への警戒心・嫉妬心が潜在意識としてあったと思われる。
いつ何時、自分にとって代られないとも限らないから。

将に秀次が誅されるまで抱き続けた、かの心理である。
幸いなことに論者が、それを持っていたのは極々幼児期だけだ。
生涯5つ6つの女児であったのが、豊臣秀次という人なのであろう。

  月花を 心のままに 見つくしぬ なにか浮き世に 思ひ残さむ (辞世)


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