若き血に燃ゆる者 in Manyoshu ~ 言い出しっぺえの田中一也氏とやらはとっとと降りちまったみたいだけど、私ゃ引きずるかんね
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まだ引きずってる、今日もまた前日記事の続きから入る事としましょう。
えーっと、仙台育英高校OBの田中一也氏なる人物が、甲子園(高校野球)応援団のあり方も一考あるべきでは?と提言した事に端を発する炎上でしたね。
その件には一家言ある齋藤杏花 (さいとうあんな)が、急遽全然関係のない昨日の記事の枕として発現したわけなのですが、肝心の投稿する時点では炎上は急速に下収してて、結局のとこ記事を汚しただけの結果に終わってしまったわけです。
ですからね、私の気性とすれば余計に腹が立つ、どうにも収まらないのでこうして懲りもせず再度繰り返すって事であります。
件の田中氏の言は、むしろ仙台育英高にこそ向けられるべき内容だったんですよ。
いわゆる判官贔屓、白河の関を越えない優勝旗ってことで、第三者たる観客の贔屓はむしろ東北勢に向きます。
増してやかの東日本大震災からこっち、何故か被災地=東北という構図が利害のない第三者に刷り込まれるようになってからは、いよよ拍車が掛かりました。
それが前年です。白河の関の悲願が適ったわけですよね。
そうなると判官でなくなる、今までのような自然発生的な追い風はなくなる、そんでもって調子の狂った田中なるOBが文句言っただけです。
慶應でよかったと思いますよ。マンモス校で数で圧倒されないで済みますから。
母校愛で纏まった慶應の大応援団こそが正当です。
いったよう高校野球(の応援)といえば、地域エゴと商業主義で固まり尽くされてる中、純粋な母校愛を見ました。
さて、今日は日曜日。例によって例のごとく万葉噺の日です。
万葉集に白河の関の向こうの歌が?
当然あります。
WEB検索に必ず引っかかるのが、家持の陸奥ノ國の黄金を賀し奉れる…
成程、地名的には最北ですが、惜しむらくはこの地で詠まれた歌じゃない、あくまでも伝聞です。
つーことでつらつら探してみるに、こんなのはどうでしょう?
巻十六3807です。
安積香山 影さへ見ゆる 山の井の 淺き心を 我が思はなくに
安積香山ね。今の福島県安積郡で文句なしに関の向こうです。
作者は不詳。この通りの女性歌で采女と官職が記されてますから、名無しの女官さんの歌なんでしょう。
実はこの歌、結構長い後書がついてまして。
こうです。
右歌、傳云葛城王遣于陸奥國之時、國司■(示+弖)承緩怠異甚。於時王意不悦、怒色顯面。読み下すの、面倒ですね。
雖設飲饌、不肯宴樂。於是有前采女、風流娘子。
左手捧觴、右手持水、撃之王膝、而詠此歌。尒乃王意解悅、樂飲終日。
どなたかが口語にしてくださってますので、それを頂きましょう。
『この歌は、葛城王が陸奥に派遣されたとき、国司が緩怠なことはなはだしく、葛城王は不満に思い、怒りが顔に現れた。飲食の席設けても葛城王は宴を楽しまなかた。そのとき、前は妥女で風流な娘がいた。娘は左手で杯を持ち、右手で水を持ち、王の膝を打ってこの歌を詠んだ。王の気持ちは打ち解けて喜び、終日楽しんで飲んだという』
葛城王また出ました。
若き日の橘諸兄です。
このとおり、結構遠くまで赴任し、そして宜しくやってた事が窺い知れます。