『ははははは ははのははでも ははははは ははとははとが はをみせははは』母の日記念の『市川ママ』駅、今年もやってるみたいですね

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さて今年の5月第二日曜日は、本BLOG開設記念日と重なりました。
母の日とくれば、これですよ。
どうやら市川ママは京成電鉄恒例の年中行事として定着してきたようです。

土着のもんには真間という地名がどれだけ由緒あるどこのことか分かりますが、遠くの方にはピンと来ないですよね。
今更ですがそこの説明をしておきましょう。
千葉県市川市。
都県境の都市です。江戸川挟んで直ぐ西が東京都江戸川区になります。
真間というのはその市川でも一段江戸川に近い場所でしてね。
京成の市川真間駅が総武線の市川駅とほぼ同じあたりに位置します。
あ、そうだそうだ。京成電鉄ってのは、国鉄、更に前で言うなら省線とほぼ平行して走ってる全国でも珍しい私鉄でしてね。
けどまあ、こっちのほうが旧来の街道をよく反映してる、かつて京成百貨店のあった八幡が市川の中心地になります(市原にも八幡があってややこやしんだな、これが)。
古来においては逆に真間の更に川よりの方が中心地だったかもしれない、何せ国府台(こうのだい)という位ですから。

そんな由緒ある真間ですから、万葉集には頻出、でね、もうネタ切れかと思ってたら、残ってましたよ。
山部赤人の長歌が巻三の431にありました。

勝鹿の眞間娘子の墓を過ぐる時に、山部宿禰赤人の作れる歌一首 并て短歌
 〔東の俗語に云ふ、かづしかのままのてご〕

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古に 在りけむ人の 倭文幡の 帶解きかへて 伏屋立て 妻問ひしけむ 葛飾の 眞間の手兒名が 奥つ城を こことは聞けど 眞木の葉や 茂りたるらむ 松が根や 遠く久しき 言のみも 名のみもわれは 忘らゆましじ


そうです、そうです。反歌が二首ついてましてね。
当然直後の432-433となります。

われも見つ 人にも告げむ 葛飾の 眞間の手兒名が 奥津城處
葛飾の 眞間の入江に うちなびく 玉藻刈りけむ 手兒名し思ほゆ


面白いですね、かつしか、当時は濁って、かづしか、と読んだんですが、詞書の段階では勝鹿の表記なのに歌の部分では葛飾になってる、例によって岩波の萬葉集の表記です。
倭文幡は舶来の着物でない日本古来の織物、手兒は愛しい子、名はオキナ・オミナのナ、人の意味です。
言いましよね、手児名ってのは固有名詞でない、マドモアゼルって意味だって。これまた今更ながら。
あと、伏屋は新婚用の小さな家、奥つ城の事です。
そうですか、手児名の墓は赤人の時には既にどこだか分からない程様変わりしてた、と。
やっぱ、ママにならなかったもんで子孫が弔ってくれることもまたなかったんですね。

でです。
調べてみれば万葉集、葛飾の真間の歌は、まだまだあるんですよ。
けどまあ今日は、ここまでにしときましょう。
来年もまた、母の日はあります。

ん?

私ったらすっかり来年もこのBLOG続ける気でいるわ、あはっ!

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